わたしたちには、知識による壁があった。
彼をはじめて見たのは、県立の図書館。わたしは新しい絵本を探して、子ども図書のコーナーをぐるぐると回っていた。そしてそのうち、探すことより、探して見つけることより「ぐるぐる」が楽しくなってきて、子ども図書を越えて図書館全体を回りはじめたのだ。
これが良かった。これがわたしの運命を変えた。彼と出会うためには、いつも何らかの枠組みを超えねばならない。このタイミングでは、それが「子ども」という枠だった。
子どものわたしにとって、図書館は大きな大きな迷路だった。騒いではいけない、ということは既に理解していたから、無言でぐるぐると。本を伝いながら。
彼を見つけた。そうしたら。
彼はそこにいたのだ。これがわたしたちの邂逅だった。
さびれた本棚のあいだで、彼の白髪はよく目立った。彼は子どもに似つかわしくない叢書を膝に置き、大人が使う脚立の上に座り込んでじっと読書をしていた。
まるでてんしみたい
当時のわたしは彼を人間と捉えなかった。いや「まるで」「みたい」と思ったから、人間とは思ったのかもしれない。今と昔のわたしでは言葉の捉え方が違ったから、わからない。
人見知りのわたしとしては珍しく、吸い寄せられるように彼に近づいた。ちろちろ、脚立の下でまようわたしに気づいて、彼はわたしを見据えた。白い髪がゆれる。
目があった。
「まっちろ」
彼を指さして、言った。
罪をまつ無垢の人みたいに、見たものをそのまま口に出した。
――――うん
彼はわたしを見下ろして、なんでもないように、それでもやさしくて、応えてくれた。
――――まっしろ
きれいで、とうめいな声だった。
それが終われば、彼はやおら瞬きをした。そうして、わたしを見ていてくれる。
彼はやさしいのだ。
痛みを与えないひとなのだ。興味がなくても、見ていてくれるのだ。それは彼の悪癖だったが、わたしはそれを好ましく思う。
なによんでるの。訊こうとしたけれど、わたしの名を呼ぶ父の声がしたから、訊けなかった。規律を重んじる父としては珍しく、図書館で大声を出してわたしを呼ぶものだから、子ども心に父が切羽詰まっているのだと理解したのだ。
彼に挨拶もせず、父の声のするほうに走った。今ではそれが失礼なこともわかるが、当時はとにかく、父に怒られないようにと必死だったのだ。そうしてわたしは彼の視線から外れて、彼はまた、読書を再開したのだろう。
ひとしきり叱られてから、何をしていたの、と父に訊かれた。
「てんしみたいな子と、めをあわせてたの」
わたしはそう答えたらしい。
彼は何にしても、許さないではくれなかった。彼は頼めば大抵のことはしてくれて、幼いわたしはそれを喜んでいた。
その優しさも今ならわかる。
興味がないから、許すのだ。
なんでもいいから。なんにもない、かみさまみたいななんにもならないやさしさを向ける。それしかないから。
それに気づいた時は、飴色みたいな草原の喪失感を味わったものだ。
…………話を戻す。
彼との再会は、幼稚園に入園してからだった。
偶然、同じ組になった。わたしは天使を見つけ直したことが嬉しくてたまらず、入園式の日に話しかけた。
彼と同じような白髪をしたお父さんに連れられて、彼は教室の隅で単にぼうっとしていた。嬉しくも、つまらなくもない。そんな顔をしながら。
「ねーね」
父の手を引いて彼の元まで駆けたわたしは、彼に向かって話しかけた。
彼はわたしの方を振り向いて、じっとわたしを見た。
「まえなによんでたのー」
父がこら、突然何言い出すの、と言った。すいませんね。とも。
わたしはじっと彼を見つめた。彼もわたしを見つめた。そのあと、ちら、とわたしの父を見てからまたわたしを見て、アリストテレスの『動物誌』、と言った。
父の驚く声が聞こえた。
「おもしろい?」
――――何も。面白がるようなものじゃない
「おもしろくなくてよむの?」
――――君は面白いから呼吸するのか
なんだか、突っぱねるような声色だった。あっち行け、ということではないらしかったが、どうにも彼の領域に居座らせてはくれない様子だ。そこに居てもいいが、浸透はするな、と。
最後は必ず、ゲストとして退出を促されるような。
そんな彼の態度にわたしはすっかり拗ねてしまって、彼の手をぎゅっと握りしめて、手を繋いだ。
それには彼もすこし意外そうにしていた。突っぱねた相手に拗ねて、それで手を繋ごうとしたのだ。不思議な動きだが、わたしの行動だからか、今のわたしにもなんとなくわかる。なぜ、昔のわたしは手を繋ごうとしたのか。反撃というわけではない。はたまたすがろうとしたわけでもない。…………うまく言語化できないが、そのどちらでもなく、しかしそれらの中間にあるような気がする。反撃というにはもうすこし気弱な思考で、すがろうとしたというには幾分か強気な思想だった。
彼は繋がれた手のひらをじっと見て、わたしの行動の意味を熟考しているようだった。けれどある時不毛と思ったのか、途端にやめた。
手のひらが突っぱねられることはなかった。
わたしの父と彼のお父さんがぽつぽつと会話を始めた。先に話しかけたのは、おそらくわたしの父だと思う。彼のお父さんは、彼によく似て他人に興味を示さず、そして彼とは違い配慮というものを一切必要と思わない人だったから。
空気を読まないのだ。彼はどんな状況でも配慮の言葉を紡いでひとまず場をおさめるが、彼のお父さんは、多少乱暴にでも不要なものは削ぎ落とす。そういう人だった。
――――さっきはごめんね
ふと、手のひらの彼が言葉を紡いだ。
先程までとは違い、柔和で子どもらしい喋り方。
――――おなまえ、なんていうの
無表情は先程と一切変わらないが、話し方は間違いなく一般的な幼稚園児のそれに変わった。
おそらく彼は、わたしの不可解な行動を「幼いから」という理由と断定したのだろう。だからわたしにとって好いように、自分を作り替えてきた。
こういう配慮がまた彼の恐ろしいところで、大抵の人間はそれにまんまと踊らされてしまうのだ。踊らせる気が、彼にひと欠片もなくとも。
「なまえ!」
――――ぼくはしぶさわたつひこ。よろしくね
「たつひこくん! なかよしになろ」
――――いいよ
やったあ、と跳ねるわたしを、彼――澁澤龍彦は見ている。興味がなくとも。
それを優しさと言ったら、きっと彼は否定するだろう。相手のためを思っての行為ではない。そういった善意に優しさは適応されない、と。
だが、優しくしようとして行った行為が優しいのか? 本人が優しいと思えば、何をしても優しいのか。
優しいとは、そのひとを見ている他人がそのひとに下す評価であって、それをあなたが否定することや、まして間違いだと指摘することなんて出来やしないのだ。本人の意思やその行為の内実など、けして関係ない。
だから、あなたはやさしい。論破。
そう、わたしはあなたに反論すべくこれを綴っていく。あなたがわたしに与えてきた言葉たちを、思いっきり塗り替えていく。この物語は、言わばあなたへの批判文なのだ。
ひとつ反論ができた。また書き連ねていく。今日はここまで。