小中高大一貫校。
 中学は学生服、高校はブレザー。小学校と中学校は完全寮制。高校は任意制で、大学に寮はなし。存在する部活の中に功績を残さないものはなく、誰もが1度は名前の聞いた事のある有名校。
 著名な学者や政治家の多くが母校とする学校。

 入学式に出席するのにもそれなりの勇気が必要だった。

 父はまさかこんなに立派な学校の受験に合格するとは思っていなかったらしく、神輿を担ぐ勢いで褒められた。祖父母にもすぐさま電話をかけたし、突然外へ駆け出したと思ったら、なんと彼のお父さんを担いで持ってきた。
 なまえがお前の息子と同じ学校に入ったぞ、さあおめでとうと言ってくれやと叫んでお父さんの背中をバンバン叩いた。お父さんはそれにウッと唸ったのち、多少不服そうな顔をしつつもおめでとう、とだけ祝福の言葉を述べてくれた。

 その後べろべろになるまで酔っ払った父も、今は彼のお父さんと共に保護者席で大人しく座っている。幼稚園とは違って保護者の同席は必須ではないから、彼のお父さんは来るつもりはなかったらしい。が、わたしの父が無理やり連れてきた。息子の晴れ舞台を見る気がないならなまえを見ていけ! と。宣言通り、式中の父は彼のお父さんにわたしを見るように促していたようで、父の方を見れば必然的に彼のお父さんとも目が合った。とても、こそばゆい。笑って控えめに手を振ると、父は大手を振って、彼のお父さんは軽く手を上げて応えてくれた。



 入学式で、もう既に彼は見つけていた。
 おそらくあちらも気づいていたろう。けれどお互いに目を合わせることもなかったし、何もしなかった。
 クラスも別々であったし、学校がただ同じになっただけで、接点が生まれたわけではなかった。
 入学式が終われば、わたしと父と彼のお父さんの3人で帰った。その時、わたしはてっきり彼が寮制を続行しているから、彼のお父さんはわたしたちと共に帰ったのかと思った。しかし彼も高校からは寮制から自宅通学に切り替えていたらしい。帰る途中でその事実を知った時は心底驚いた。本当に息子に関心がないらしい。父はプンプン怒っていたが、やはりお父さんは素知らぬ顔というか、馬耳東風というかんじだった。


 彼と改めて言葉を交わしたのは入学式の次の日、授業開始初日の放課後だった。
 彼と同じ学校に入学したというのに、わたしの心は不思議と落ち着き払っていた。入学式で、彼の後ろ姿を見ても、なお。
 思えばそれは、彼との再会はこうである、と分かりきっていたからなのかもしれない。名状し難い、変な確信があったのだ。
 放課後、わたしは図書室へ行った。高校の図書室としては立派すぎる図書室に入ると、奥の奥、叢書のスペースへと向かった。そこには誰もおらず、また人が寄りつく気配もなかった。

 彼はいない。
 ならば配役は決まった。

 近くにあった脚立を引っ張ってきて、その上に登り、座った。適当に叢書を手にとって膝の上に広げる。…………何を書いているのかすら、わからない。フランス語のようだ。
 何もわからないから、eの数を数えていた。100はいかなかった頃だと思う。静かで規則的な足音がした。
 ……。足音が止まってから、みっつ、数えて。

 彼の方を見る。
 目があった。

 ――――まっくろ
 わたしを指さして、言った。
「うん」
 わたしは彼を見下ろして、なんでもないように、それでもしおらしく、応えた。
「まっくろ」
 やっぱり、不思議としっくり落ち着いた声しか出なかった。
 それが終われば、わたしは叢書を本棚に戻し、脚立から降りた。最後の数段は彼が手を差し伸べてくれたから、それを受けて、降りた。
 久方ぶりに触れた、彼の手。
 脚立を降りきっても、わたしはその手を離すことができなかった。彼も離さなかった。お互い手を重ねたまま、目を合わせる。
 夕焼けの空が、窓を透き通って図書室の床を駆ける。やみいろにも近いような光がわたしたちの影を溶かす。
「…………。久しぶり」
 変わらぬあかいろの瞳に、しろいろの髪。随分大人びた顔つきと、わたしとは既にかけ離れた体格。
 久しぶり、より、はじめましての気分だ。
 彼は相変わらず無言でわたしを見ていてくれる。お返事はない。変わり果てたわたしを、変わり果てた同じ身体でじっと見通している。
 何も喋らない彼を見て、ああとわかった。

「……たっちゃん」
 昔のあだ名を、9年越しに口にする。
 何かの呪いが今、解けた気がした。

 ――――なあに

「いっしょにかえろ」

 ――――いいよ

 なあに。いいよ。その声も随分変わった。透きとおるような声は彼の色をもって、低くうつくしく響く。
 あまりに変わっていて、それでもあまりに綺麗で、やっぱり相応しくて。わたしは思わずうひひと笑ってしまった。
 彼は怪訝な顔をする。
 ――――何だ
「ううん、うれしくて」
 手を離して、じゃあ帰ろう、と声をかける。すると彼はなんだかかなしそうに眉をひそめた。……ような気がしたけれど、ああ、と返事をして歩き出した。


 帰りの電車の中で、今までの9年間をぽつぽつと話し合った。小学校、中学校……わたしは主に彼がいなかった時の父と彼のお父さんの話をした。彼は自分のお父さんの話を聞いて意外そうにしていた。奇しくも入学式に参列していたのはわかっており、それも意外だったが、そこまで他人と交流を深めるような人間だとは思っていなかった、と。人と酒を呑むような人間ではないし、人に安易に担がれるような人間ではないと。

 お互い、幼稚園時代の話には一切触れなかった。
 きっと、あの頃のことはあの頃のわたしたちにしかわからないことがあるのだろう。
 それに、あの時のことをお互い封印しているから、こうして何ともなしに話し合えるのだ。触れない方がいい。触れるな。お互い、そのつもりであったのは見え透いていた。あの日のことを開示するのであれば、わたしたちふたりは想像を絶するさびしさを遡らなくてはならない。だから、ていねいに埋め立てておくのだ。共犯だ。
 触れてほしくない話題というのは、わたしのほうにはもうひとつあった。だからなるべくそちらの方に話が向かないように仕向けていたのだが、彼はそれに気づいたのか、はたまた単純に疑問だったのか、個人的にいちばん訊いてほしくないことをかんたんに訊いてきた。
 ――――君は何故この高校を選んだんだ
 訊かれた途端、唇にきゅっと力を入れてしまった。その理由だけは訊いてほしくなかったのだ。
 何故なら、自分でもよくわかっていないのだ。
 明確に彼に会いたいからと思ったわけでもない。むしろ苦い思い出があるのだから、小中学校時代はずっと避けていたのだから、それが高校受験になって突然会いたい、となるのは道理に合わない気がする。けれど、高校受験の資料請求へ向かう道中、彼のお父さんと会ったことによってわたしはこの高校を視野に入れたのだ。彼が一切理由に関わりないこともないだろう。
 ……となると。なんだろう。適切な答えは。
「…………けじめをつけに?」
 ――――……。君は反社会勢力の家庭で育ったのか?


 彼の家のほうが駅に近かったから、彼の家が近づいたらまた明日ねと挨拶をした。けれど彼は数度瞬きをして
 ――――君を送っていく
 とだけ言って、立ち止まっていたわたしの背中を押して歩行を促した。
 え、でも悪いよ、帰りなよと言うと、彼はえっと驚いた顔をして立ち止まる。
 私の提案を断るのか。
 そう呟いて、どこかすっきりした顔をした。
 どういうことだろう。提案を断ったことを気に留めたのなら、不満そうにしてもいいはずだが。彼は霧が晴れたような顔をして、問答無用でまた歩き始めた。
 どうやら否応なしに送っていくつもりらしい。わたしは置いていかれないよう、彼の背中を追った。



 …………彼の接待はシステム化されている。
 人と別れる際は必ず見送り、状況に応じて手を差し伸べ、そして最後には、自ら介入をしておきながら自ら去ってしまう。
 人を置いていくひとなのだ。とてもさびしくさせるのだ。
 わたしも置いていかれたひとりで、彼が置いていくつもりすらなかったひとだ。
 彼は自分で言っていた。
 人への対応の一切はシステム化している、と。
 ならばそのシステムは欠陥が多すぎる。あなたは優しくしようと思ってシステムを行使した際には優しさを思わせず、別に優しくしようとしたわけでない時に優しさを思わせる。
 あなたは他人のことすらすべて見透かしたように振る舞うが、やはり他人はあなたの思い通りには動かない。それはあなた以外のひとが白痴で優しさを見分けられないからではなく、あなただ。あなたの、あなた自身の扱いが下手なのだ。

 わたしはあなたの無理やりな優しさが好きだ。あなたが意図しないあなたが好きだ!