高校も大学も、つつがなく過ごせた。
家が近いからと、いつも彼と登下校を共にするわけでもなかった。行きで一緒になることはほとんどなく、帰りに時々会って、成り行きで共に帰るくらいであった。
結果的に言えば、なんだ、その…………恋人に発展することは、学生時代全くなかった。単純に幼なじみであった。
恋愛事情を記しておくと、高校でも大学でも、彼もわたしも恋人は一切作らなかった。わたしには浮き足立った話はなく、彼はその美貌から言い寄られることはあったようだが、すぐに落ち着いてしまう。
彼の感情は、彼とはまた別のところにある。
他人への対応をシステム化しているからだ。
だから、接しているうち、どうしても寂しくなってしまうのだ。彼はここにいるのに、何もないようで。だから、近づいた全ての人は結局彼から離れていく。
彼はいつもひとりきりでいた。
わたしもそれを薄々わかっていたから、彼に深入りすることはなかった。けれど、やっぱり彼はわたしの初恋泥棒なので、わたしは彼のまわりをちろちろしてしまう。
システム化された対応が適応されないような彼との接し方は、なんとなく知っていた。それは彼自身の意外性を引き出すようなコミュニケーションだ。うまく言えないが、ほんのすこし斜めよりまっすぐな視線で彼と話せば、システムは適応されず、ただの彼が対応してくれていた。
わたしも彼もどこかひねくれているから、その塩梅は自然体で問題なかった。
そのように彼と接していたが、付き合おう、好きだ恋人になろうなどと言い出すことはなく、また兆候すらなく、なぜだかわたし自身にもそれらの願望が生まれることすらなかった。
わたしは彼に惹かれている。
それは紛れもない事実としてそこにあった。
けれども、なぜだかそれが願望として彼に向かっていかない。いつまでもわたしのなかで燻ったまま、丸め込まれて安心そうにすやすや眠っている。
きっとこれは解かないほうが自分のためになるのだろう。
そう思ったから、高校も大学も、ただ過ごした。卒業して職に就くと、また接点は薄れた。
なんというか…………これは経験則だが、わたしたちの仲は再会を境に急激に近くなる。おそらく、わたしたちは付かず離れず……よりも離れていたほうがお互いを愛おしく思えるらしかった。
お互い、恒常を好まないのだ。
わたしは一般企業、彼は大学院へと進んだ。
大学院に興味はありはしたが、流石に父にそこまでの負担はかけられまいと思った。
お互いに忙しくなってしまったから、やっぱり付かず離れずの日々が続いた。たまの休日に食事をとることはあったが、どこかへ遊びに行った覚えもない。食事だって、父が彼のお父さんを無理やり家に連れ込んで、ついでにたっちゃんも食ってけと引っ張ってきたから一緒に食べただけであった。
わたしが作った食事だったから、それなりに緊張はした。文句を言われたことはない。黙々と食べてくれていた。彼のお父さんが数回、鍋に残ったものを持ち帰っても構わないかと訊いてくれたこともあった。これから夜なべして行う研究があるから、夜食にしたいのだと。わたしは喜んで余り物を包んで渡した。
肝心の……肝心のというのも変な気分だが、彼はわたしの料理について何かコメントしたことはなかった。彼のことだから、コミュニケーションの円滑化のために美味しいくらいはお世辞でも言ってもおかしくないとは思ったのだが、そんなに口に合わなかったのだろうか。まあ……でも、それでも彼はわたしの料理を摂取し続けていたので、不味いわけではなかったのだろう。
たぶん。
ともかく。接点といえばその程度のものであった。何も変わらず、何の進展もない。
ただひとつ、彼の近辺で気になることといえば、彼が大学院の2年目、春頃から、彼の家に剣呑な顔をしたスーツ姿の人々が訪れはじめたことだった。
彼らを初めて見かけたのは、彼のお父さんに夜食を届けに行ったある日のことだった。
思っていたよりもわたしの料理を気に入ってくれた……と思いたいが、まあおそらく近くにいて手頃だったからだろう、彼のお父さんはしょっちゅうわたしの料理を夜食に頼んでくれていた。
その日は確か、厚揚げのみぞれ煮と焼きおにぎりを作って行ったと思う。タッパー2つをビニール袋に入れて彼の家まで歩くと、黒色の車が2台、家の前に止まっているのを見た。
もしかしてお父さんの仕事関連のご来客だろうか。だとしたら1度家に帰って時間を改めようか。しかし渡す約束の時間まであと5分であって……と道端をうろうろしていると、彼の家の中から、白髪の男が出てきた。
彼だ。彼のお父さんではなく。
彼は玄関からスーツ姿の人々の元へ行くと、すこしだけ言葉を交わして、人々に促されるまま黒い車の中へと入ってしまった。
…………なんだろう。あの人々は。彼と何の関わりがあるのだろう。
すこし嫌な予感に襲われたが、優秀な彼のことだから、わたしの知らない世界との交流もあるのだろう。何かしらの賞でも受賞して、その受賞式へのお迎えとか……。
疑問は残ったが、ひとまず彼のお父さんへ夜食を届けた。玄関と、お父さんのいる書斎。ふたつの合鍵を貰っているから、インターホンも押さずお邪魔する。彼の家の構造も流石に勝手知ったるもので、案内なしに一応ノックをしてから書斎へ入る。
たくさんの本棚が連なり、窓から差す光に従って一様に影を作っている。なんとなくその影たちを意識的に踏みながら奥へ進むと、本棚と本棚の隙間、少し暗い先に、やはりいつものように読書に没頭するお父さんがいた。
集中していたから、話しかけるのはよして、ただ夜食を置いて帰ろう。そう思って近くのテーブルに夜食を置いて踵を返す。メモくらい残していったほうが親切だったろうかと思いながらも書斎を歩く。彼の家は室内でも外履きであるから、すこし慣れない。ドアノブに手をかける。
重なった。
――――何処へ
わたしの手に、もうひとつ。大きい手が重なった。
驚いて振り返ると、そこには若干不服そうに顔をむっとさせている彼のお父さんがいた。
――――挨拶もせずに何処へ
むっとしている。
どうやら、夜食を置くだけ置いて帰るのが気に食わなかったらしい。それもそうだ。合鍵を渡されているとはいえ、人の家へ勝手に入って勝手に出ようとしたのだから。
「あ……すみません。読書をされていたので。邪魔にならないように、置いておきました」
――――邪魔しても、いい。挨拶はしなさい
お父さんの手が離れて、正面からじっと見つめられる。怒っているわけではなさそうだが、何処か寂しがり屋な瞳だ。
……沈黙が訪れて、気まずくなってしまった。何か話題はないかと、必死になって口を開く。
「あの、龍彦くん、誰かに連れられて何処かへお出かけしたみたいですが、何処へ行ったんですか?」
こういう時、わたしはやはり彼の話題を引っ張り出してくる。意識してそうしていたわけではないが、だからこそわたしの中での彼の存在の大きさを思わせて嫌になる。嫌、では、ないかもしれないが。お父さんの回答を待つ。
――――異能特務課
「……え?」
聞き慣れない言葉が出てきて、つい、聞き返してしまった。いちど、頭の中で復唱をしてみる。いのう、とくむか。
……異能特務課。聞いたことくらいはあるけれど、限りなく縁遠いものだから、それと彼に関わりがあることに驚いた。
「異能……ですか。すごいですね、そんなものまで研究しているんですか」
はじめ、わたしはてっきり、彼の研究に異能が関係しているのかと思った。彼の知見の広さは多岐に渡る。だから異能の研究をしていたとしても何ら疑問はない。そう思ったのだ。
けれど、そう、違ったのだ。
彼は知っていた。そしてわたしは知らなかった。ただ、ただそれだけ。それだけのことが、何故こんなにも悔しい。
彼は彼にしかわからない何かを求めておきながら、自分では何も外に示さない。全て自己管理して、自己完結する。
そうでありながら、どうして、こんなにもわたしの感情を左右する。
――――息子は異能力者
お父さんはきょとん、として、ごく自然にそう言った。
わたしは彼を、単純に非難する。
彼は言わないのだ。
わたしに、大事なことを、一切。