彼女にとって、私はどのような存在だったのだろうか。
そのようなことを時々思案する。彼女のことはよく知っているし、人間の行動パターンというのも既知であるから、考える必要もないことではあるのだが。それでも何度も考えてしまう。実のところ、私にとってそれがいちばんの暇つぶしだった。
……異能の結晶を収集するための道中、私はいつもひとつのオルゴールを所持していた。……"正にこのある収集家が求めていたもの。細部に至るまで全て彼女が言っていた通り。"…………などと言うほどのものでもなかったが、とにかくいつも持ち歩いていた。
ある国の露店で購入したものだ。金銭的価値は殆どないに等しい。私が蒐集するまでもないものだがそれでも私はこれを捨てていない。捨てられないわけではないが所持している。
――――龍彦くん、今何か欲しいものってある?
ある日の大学院からの帰り道、たまたま会った彼女にそう訊かれた。
流石に幼稚園時代のあだ名で呼ぶことは憚られたらしい、彼女はいつも私のことを名前で呼んだ。彼女の家で夕食を共にする時は彼女の父親につられてあだ名で呼ぶこともあったが、思いがけず口から出てしまっただけらしくすぐに羞恥から俯いていた。
「特になにも。これといって必要なものはないかな」
――――そっか
彼女が残念そうにしたので、言葉を付け足しておく。
「どうしてそんなことを訊くんだ」
別段誕生日が近いわけでもない。プレゼントを贈られる理由など持ち合わせていない筈なのだが。
思い当たる節、といえば。
――――そろそろ進級だから、お祝いにと思って
やはりそんなことか。
彼女は社会人、私は学生ではあるが、歳は同じだろうに。とはいえ彼女の性質を思うとその考えに至ることも理解できる。
彼女は儀式的なものを大事にした。イベント、節目、思い出そんなものたちを。私としては共感に値しない執着であったが彼女が大切にしているものであったから形式上は私も丁寧に扱った。間接的にでも踏みにじる真似をすることは私の本意ではなかった。それだけの話だが。
「では私からも何か贈ろう。何がいい?」
訊くと、彼女はほんの少しだけ驚いたように顔を上げて、笑った。嬉しいのだろう。
――――龍彦くんから貰えるなら、なんでも嬉しい。……あ、けど、指定したほうがいいなら、言う
彼女なりの配慮が窺える。
「指定してほしいな。君の趣味は案外分かりづらい」
――――変な趣味だって言ってる?
彼女は私を見上げて不服そうな顔をしたのち、笑った。
笑った。
私とは違うという意味合いでは、変だ。だってそうだろう。彼女はよく、おかしなものを可愛いと言った。愛することが可であると。今だって貶されて笑うのは、変だろう。その理由がわからない、わけではなかったが。
彼女が私に恋愛感情を向けていたことは分かっていた。すこしむず痒かった。だからこそ困ったのだ。
君は恋をしていたくせに、そういう事情にとんと疎い。
――――オルゴール
また前に向き直って、彼女としてはすこし早歩き気味に歩く。私の歩幅は彼女に合わせているのだが、その配慮を察している彼女は、私と歩く際に平生の彼女より速く歩いた。彼女は口には出さず、また本人がそうと思っておらずとも色々と気を遣う人間だった。
――――オルゴールがいいな
すこし、面食らってしまった。
彼女がそこまでを欲しがるのは珍しい。いや、意味など分かっていないのだろうが。
――――前にね、水族館でオルゴールを買ったことがあるんだ。四角くて、でも箱みたいに開けたりはしなくて、外付けのネジを回すだけのオルゴール。サカナの絵が掘ってあって、綺麗だったんだけど……でも最近壊れちゃって。無理じゃなければ、おねがい。安いやつでいいの。高いのだと気軽に聴けなくなっちゃう
……すこしの間黙ってしまったが、分かった、と返事をした。それでも良いと承諾したのだ。
ここで、私の感情にも気づくべきだった。
「そのオルゴールから流れる曲は、何だった?」
曲は慣れ親しんだものの方が良いだろうと思った。ここで彼女が何の曲でも良いと言えば、そうしよう。指定してくるのなら、それにしよう。
――――"星に願いを"
そうか。
私は、彼女の願いを叶えてやりたかったのか。
…………
私の異能の存在を知ったらしい彼女が私の目の前で泣いた日のことは、忘れない私の中でもよく覚えられている。
その日だけではない。その頃、浮かない顔の彼女を見かける日が多かった。私の異能を知ったあと、長い間黙っていたのだろう。その間彼女は何を考えていたのか。何を思っていたのか。予想はできるが、私は知らない。答え合わせもできない。だから、そうだ、私は分かっていない。
――――なんで、……
彼女の家での夕食後、洗い物をしている彼女が背を向けながら何かを言った。
彼女と私の父は隣の部屋で酒を呑んでいる。テレビの音と彼女の父が騒がしい。また彼女の自慢話をしているのだろうか。そういえば私は彼女の料理を褒めたことがない。何故口から出なかったのだろう。不味くなかったはずだ。……美味しかったはずだ。もう味も思い出せない。私は何故……、…………。話が逸れた。
「……すまない、よく聞こえなかった。話をするなら、一旦洗い物をやめてこちらに来てくれないか」
私の促しに応じた彼女が、やはり浮かない顔持ちで此方に歩いてきた。私はテーブルを片付けるのをやめて、軽く布巾だけ走らせて椅子に腰掛けた。
顔色を見るに、きっと長い話になるのだろうと思った。だから座らせた。
「先程、何と言っていたんだ」
こちらから質問をすると彼女はすこし沈黙して、俯きながら話し始めた。
――――なんで、異能力のこと、教えてくれなかったの
彼女が私の目を見ないで話すことは珍しい。私はきょとんとした。
「教えることでもないだろう」
――――ずっと一緒にいたんだから、教えてくれても……
「教えずにいて、今まで何か不都合が起こったか」
私は淡々と話す。
――――ない、けど……
「なら、教えなくてもよかったのではないか」
彼女から異能の話が出ても私は別段動揺もしなかった。ああ、知ったのか。父から聞いたのだろうか。その程度。まあ、彼女は私に隠し事をしてほしくなかったのだろうな。その程度。
――――教えて、ほしかった
「そうなのか。すまない、それは知らなかった」
やめろ。
その程度なら、やめろ。その程度しか彼女を理解していないなら、彼女に何も言うな。
「なら、今言っておく。私は君に出会う前から、異能力者だ」
………………、…………彼女がゆっくり、顔を上げる。
泣いていた。
泣く理由は既知だ。そんなことは分かった。にもかかわらず、私は驚目を見張った。泣いた彼女を見て、彼女の泣いた理由は分かった、それなのに私は固まった。
記憶が蘇る。
――――もういい! たっちゃんきらい、ばいばい
あの日のことを思い出して、そうして今も言われた気分になった。
嫌い、と。
そうしてこの時私は明確に、苛立った。
言われてもいない、彼女の拒絶に。
「…………独り善がりに泣かれても、此方としては困ってしまうな」
今度は彼女が驚目を見張った。
「そも、私と君は全てを教え合うような仲ではなかろうに」
やめろ。
頼むから、やめてくれ。
「それは君だけが望んでいることだ」
やめろ。やめろ。やめろ。
彼女の恋心を、踏みにじるな。
…………己の恋心を簡単に暴かれた彼女は、顔を真っ赤にした。それは恥辱によるものだ。けっして、綺麗なものではない。踏みにじられた恥だ。
「私が君のその感情に応えることは、ない」
彼女は何の反応も示さない。まだ感情の処理が追いついていないのだろう。
告白される前から振る。こんなに馬鹿げた、自惚れた話があるだろうか。それでも……それでも私が恥辱を被らなかったのは。
そうだ。私は彼女のその感情に甘えていた。
そんなことにも気づかず。
「けれど……そうだな、ひとついい事を教えよう。そうだ、我ながらいい考えだ。似ているし、より君に優しかろうし、丁度いい」
自分が平生より気分が高揚し、微笑み、演技じみた口調になっていることにも気づかず。
硯のように、彼女の心を磨り潰した。
「私の父は君のことを、女として見ているよ」
私は、彼女にとっての星ではない。