金も種もすべて握りしめておかねばならぬ。飯を握るのは女の役目だが、掌握することに関しての多くは男のすることである。
 夜の風は湿っていた。ミョウジはただ一本の電話のために夜の闇に身を投じなければならなかった。この頃は寒くなり日が落ちるのも早い。ミョウジはくしゃみした。ミョウジは婚姻の経験はないが、出産の経験だけはあるという何かとませた女だった。嵯峨鼠色の外套を背負いながら、未だ眼の慣れない夜の道を浮かぶように歩いていった。



Sah ein Knab' ein Röslein stehn,
Röslein auf der Heiden,
war so jung und morgenschön,
lief er schnell, es nah zu sehn,
sah's mit vielen Freuden.
Röslein, Röslein, Röslein rot,
Röslein auf der Heiden.




「やあ、やっと迎えに来てくれたか。」
 館長はへとへとの額を拭うと、みょうじに向けてにんまりと笑んだ。
「来たよ。しかし、真逆お前に金を払う日が来るとは思っていなかった。」
 館長とみょうじは昔からの知り合いであったが、このようにしてみょうじが館長に、しかも曖昧屋の類で金払いを行うことは今度が初めてであった。たまに酒など奢ってやることはあったが、顧客になり得たことは一度としてなかった。
 みょうじはそれをすこしだけ面白く思った。
「まア後始末というのは親の役目であって親の知り合いの役目ではないからね。それで彼奴は何処の男娼とよろしくやっているんだ。」
「イヤ全くお目が高いよお前の娘子は。最近入ってきた異国の男娼でね。露西亜ロシアの上物だよ。」
「露西亜。そんじゃ、革命にやられたのか。」
「知れないね。旧貴族にぴったりの上品をひさげているよ。」
 みょうじはフウンと鼻を鳴らした。異国人の売春婦ならこの街の底では幾らでも見るが、男娼となると話は別だった。異国人の男は普通、乞食になるのだ。
「何んだい君乞食のスカウトも始めたのか。それとも誘拐か。」
 みょうじが冗談混じりにけしかけてみると、いつも口数の多い館長は口をにんまり閉じたまま、一旦閉じた瞳を花のように開いてみせた。
「……ああ言わぬがものを言うということか。」
「ハハそう言うなよ。反する、、、ぜ。」
「マ、君が裏で何をしようと表むきどうでもいいことだ。兎角今彼奴はその露西亜人に相手をさせてるんだね。」
 みょうじは理亭じみたカウンターに五円置いて、館長の妻に案内を指示した。館長は虫のような指で金を受けとると、今に見えなくなるみょうじの後ろ姿に向けて「まいどあり」と笑った。




 館長の妻に連れられた先、女のわんわん泣く声が聞こえてみょうじはつい妻を見て笑った。
「おい聞こえるか。客のくせしてふられてやがる。」
「客は客でも迷惑がついておりますからね。今のところは貴女がいますから、客は客ですけど。」
「何んだいじゃあ君達にとっちゃ善い迷惑じゃないか。甘受しておくれ。」
「そうは言っても男娼をだめにされちゃたまりませんよ。長く使いたいんですもの。」
「ウーンもっともだ。」
 みょうじは納得すると、やけに色の黒いドアーをノックした。そして妻のほうを振り向くと「何んだか恐ろしいから君先に這入はいってくれ。」と顔を渋くさせた。妻は全く仕方ない顔をして、其れでもみょうじ自体は大事だから、ハイハイと言ってやるようにしてやった。
 みょうじがわざと恐る恐るといったふうに顔を覗かせると、自分の長女が誰かの膝の上で丸まっているのが見えた。
 縋っているのだ。みょうじが学生服を身につけていた時期に産んだ子供である。みょうじはそれで女学校を辞めてしまって、今はこのように働きたい時に家業の手伝いをガッポリ、、、、する放蕩娘とも言えぬ具合になっているのであった。
 其れより、みょうじが意外だったのは男娼のほうである。男娼はただ何処かを、ただしっと眺めているだけであったのだ。とても静かだった。邪魔だと跳ね除けることもして居らなそうだ。
 みょうじが男娼を見ているうち、いつしか男娼はみょうじのほうを向いていた。みょうじはその余りに静かなのを何処か恐れて、しかし目をだらんとさせたまま長女を見た。
「おい姉さん。もう帰るよ。もうね、夜も遅いよ。」
 嗚咽をしたまま動かなかったので、仕方ない。みょうじは近寄って長女の背中を三回叩いた。
「ホラ迷惑だからね。もう帰らなきゃあ。」
「うるさい! 金だけ置いてサッサと帰って。母親ヅラしてんじゃないわ。」
「アハハ参ったね。そう言われちゃ面目無いが、幾らわたしが母親じゃなくとも今日は帰らなくっちゃあ。ホラ今日は善い月の日だよ。帰んのが嫌なら月を見ながらお散歩しよう。」
「いやだいやだ、月の光なんかいやだ。見たくもない。」
「じゃ、月なんか嘘だからね。全然月なんか出てないから、帰ろうね。迷惑だからね。」
「迷惑なもんか。金はあるんだから、善いじゃない。」
「そりゃそうだけど、ここは男娼館だよ。女の客よりよっぽど金払いの善い男の客は幾らでもいるんだよ。ホラ帰ろう。」
「いやだいやだ……。」
 長女は最近寡婦になってしまって、その途端これである。元々できた妻ではなかったが、このごろはかなり好き勝手していた。
「仕方ないなあ。オイ済まないが手の空いてる奴を数人連れてきてくれないか。外まで出してくれりゃ、後はこっちでやるからさ。」
「貴女がそうお言いになるなら、此方としては喜んでさせていただきますがね、宜しいんで御座いますか。」
「いいよやってしまって。どうにもならなそうだ。」
 数分もすれば言われた通り手隙の男娼幾人かが長女をとっ捕まえて部屋から出していった。みょうじはポケットから数枚出すと、「君悪かったね。これは取っておいで。」と言って男娼に差し出した。ところが男娼は何時まで経っても受け取らない。みょうじの双眸を見詰めたまま、やはりしっとしている。みょうじは男娼の目を見た。珍しい葡萄色をしている。
 みょうじもしっとしたが、長女の介抱もあるので無理矢理男娼の手の中に金を握らせて長女の後を追った。