遂々冬になった。みょうじは夜の酒場へ足を運んだ。
店主はみょうじの顔を見るとオヤという顔をした。
「お前さん、この頃は男娼館へ通っているのではないのかい。」
「何んだそれ。」
「噂になっているよ。みょうじは近頃男娼に随分入れ込んでるってね。」
「ああ其れ娘のことだね。わたしは後始末をつけに行っていただけだ。」
「そういうことだろうと思ったよ。今日は呑むのかい。」
みょうじは自分の首を指で弾いた。
「そんなに? 何か嫌なことでも遭ったのかい。」
「遭ったというより、これからかな。」
「そんじゃ、並々注いじまうよ。お前さん下戸寄りだから、これでどうにでもなるよ。」
「善いよ酔っても歩けはするから。」
「マ酒癖の悪くないのは知っているから、俺としちゃありがたいね。」
店主は一杯注いでみょうじに差し出すと、他の客の処へ行った。みょうじには酒の心配もないのもこれからのことも店主も分かっているのだ。
みょうじは酒の匂いだけで結構十分であったが、これからを考えてちびちび含みはじめた。一気にはいけないので、少しずつ蓄積する。少し馬鹿らしく思えた。
半分無くなり、結構しっかり酔ってきた頃、いつの間にかみょうじの隣の丸椅子には挨拶を済ませた男が座って居た。
「そういえば君男娼に情をかけるものではないよ。情というのは男娼にかけられるものだ。君が女なら、尚更のことだ。」
「オヤ……澁澤さん、アアこんばんは。ええと貴方も男娼を?」
「やめ給え。」
「アハハ。冗談です。貴方が自分のテイもショも大事に囲うことは、よく分かっていますよ。」
みょうじには挨拶をした記憶がなかった。これはしめたと思った。みょうじは、なるべく澁澤との会話は後々忘れていたいのだ。
澁澤は個人経営の輸入骨董商人である。みょうじと同い歳くらいで、知り合ったのは互いに学生時代であった。みょうじに劣らず余裕ある家の一人息子であるが、家としての問題点は未だ独身であることくらいか。
「もう余程酔っているようだ。君は私を貶すことが嫌いだったろう。君、後で思い出して、泣いてしまう。」
「泣いたら殺してくれるのか。」
「さてね。出来ない約束はしないよ。」
「約束を?」
小指を立てる。澁澤の指がさりげなくみょうじの手から酒杯を絡めとった。
「しないと思うね。ただ私の意識というのは、君が泣くことを避けたいだけだ。」
「一一わたし、貴方の襟を折り直したくなった。赦してくれるか。」
「善いとも。手は伸ばさぬよう。」
みょうじはやけくそになって澁澤の首に腕を回した。澁澤をそれを受け入れて、みょうじが椅子から落ちぬよう片手で腰を支えてやった。男女の時間が始まる。
「今日はお願いがあると聞いて来たんだが。君の酔いが覚めてから聞いた方が善さそうだな。」
「イヤ……今言ってしまう。言ったら帰る。酔って眠ってしまう前に。」
「君は酔うと寝るものな。じゃあ聞ける範囲で聞こう。」
「ロザリオが欲しい。」
「何。君がか?」
「ウン。でも四本のやつじゃなきゃだめ。」
「正教会のものか。読めたよ。噂の異国男娼に貢ぐんだろう。なら聞けないな。」
「だめか?」
「駄目だよ。何に惹かれたのかは知らないが、もう関わりあいになるのはやめなさい。」
「違う手切れ金だ。それでいいって。それで済むから。易いだろう。困ってるんだ。」
澁澤はフムと鼻を鳴らした。詳しい事情は知らないが、そういうことなら手を貸してやっていいと思ったのだ。最後の一言が効いたらしい。みょうじの頭を撫で付ける。
「分かった。私が君の為に探しておいてやるから、もう余計なことで神経をすり減らすのはおよし。」
唇と唇が触れ合う距離で彼等は簡単に会話を続けてみせる。愛し合っているようで何もないからそのようにしているとも見える。互いに独身だ。何をしたって構わないだろう。
みょうじは取り直すと飲酒を始めた。澁澤は付き合い程度に。みょうじは本当は帰ろうとしたが、それを澁澤が引き留めた。
「そう言えば君未だ娘の世話を焼いているのか。もう独り立ちしたろうに。」
「それは仕方ないね。わたしが産んだ金が相殺されるだけで済んでるから善いんです。」
「そうは言っても君はもう何んにもしなくて善いだろう。そも君に子供が居るなんて今でも信じ難いな。」
「わたしは女の役割というものをよく知っている。だから彼奴を産んだのだ。」
「そんなことを言って。君は学校を辞めたかっただけだろう。」
「アハハどうでしょうね。まア産んだことは確かだし、死ぬまで世話するしか無いですね。」
「前者は確かだね。本当に信じ難いが、君の腹が大きくなる様をずうっと診ていたのはこの私だからね。」
嫁入り前の娘が妊娠したとして、みょうじの両親は病院に連れて行くことは出来なかった。そこでみょうじを診ていたのがこの男だった。澁澤は学校で美術論を学ぶ傍ら独学で医術や機械論に努める秀才であった。みょうじは妊娠期間、ずっと澁澤のatelierに居った。本当にみょうじに子供が居るのか疑う者は多かったが、澁澤はみょうじの腹の膨らむさまを日々見ていたので、それに関しては疑うことは無かった。
「貴方と絵具臭い日々が懐かしい。君の作品を見て胎内で育ったのだから、さぞ感覚の善い子に成ろうと思ったが、善いのは男の顔と金の見付け、それと見限りだけだ。」
「懐かしいかい。」
「ウン。」
「戻るかい。」
みょうじは黙ってしまった。残りの酒を煽って、時間を稼ぐ。
「どうだろうね。少し寄っていきたい気もします。久しぶりに見たいと。最近は何か描いて居るんですか。」
「何んにも。」
「オヤ勿体ない。」
「元々私は美術論専門だから、描くのは遊び程度さ。」
「残念だな。生業にしても善さげだったけれど。」
「君が来れば描く。」
みょうじは少し目をどうにかさせた。返答に困っているわけでは無かった。からから。
「空になったな。もう一杯呑むかい。」
「もうムリだ……。前が善く分からなくなって来た。」
「君は本当に弱いな。」
みょうじは泣きそうになってしまって、それで困った。
「ああもう、全てだ。何も分からないアハハ。」
「ああオイ……泣くな……済まない……泣かせる積もりは無かったんだ。」
「止めろ。止めてくれ……。」
「そう言って跳ね除けないでくれ。嗚呼済まなかったって……。可愛くって仕様がないから。」
「わたし今日ならね。今日なら死ねるね。清々するね。ハハアハハ。」
みょうじは中々澁澤の胸に収まらなかった。だがそうなるのはみょうじ自身も分かっていた。だからこそ辛くて仕方のないことだった。
