目が覚めた時にはみょうじは酒場には居らなかった。ただ薬品のような匂いがする。ひどく懐かしい。
 起き上がって見回す。よく見覚えのある処だった。
「起きたかい。」
 澁澤は白い襟衣シャツに黒い紳士服の洋股ズボンを履いてcanvasの前に立っていた。手には珈琲。朝か。
「ああ……昨日は。」
「酔い過ぎだ。」
「申し訳ない。しかも何んだか随分愚痴を言ってしまった気がしますね。」
「一杯で酔う奴の愚痴なんて可愛いものさ。」
 澁澤の口調には揶揄うものがあったが、心地よい程度のものだった。みょうじは昨日のことを殆ど忘れていることを喜び、そして一寸恐れた。恐れとは自分の事である。
「イヤ変なこと訊くかもだけど、わたし下は一体何処に脱ぎ捨てた?」
「châtaigneの香りがしたよ。」
「失禁か一一。」
 みょうじはガックリと肩を落とした。澁澤が酔った自分に手を出す筈はないと思っていたので、あるとすれば失禁だけだった。
「こんな歳で漏らしたなんて恥辱にも程がある。」
「私は役得だったよ。」
「役得なもんか。下手な慰めは止めてくださいよ。」
「だって、君にこんなこと出来るのは私だけだろう。」
 澁澤は近くの台に珈琲を置くと、みょうじを寝かせている寝台の端に座った。
「其れで、善いかい。」
「何がです。」
「君は今折角しやすい・・・・格好なわけだが。」
 澁澤が毛布の上からみょうじの足をなぞる。みょうじは未だ余裕そうにキョトンとした。
「わたし自体に発情出来ますかね。」
「している。」
「オヤ……。それは、その照れるけれど。ううん、その。寝起きで髪も乱れて居ますし。」
「だから何んだね。」
「顔も洗って居ませんけど。」
「気にならない。」
「ウーン……ええと。」
 みょうじは一寸戸惑ったふうにして、それでも態度が狼狽える程でもなく居た。そうして考えると、何んだか申し訳ないと思いながらも口を開いた。
「今わたしは凄く甘えたい気分だから、昔みたいに甘やかすことは出来ないけれど。其れでも善いなら。」
「ああ大歓迎だ……。」
 澁澤は毛布を捲るとその中へ潜り込んでいった。もぞもぞして、みょうじに触れる。数分経てば二人の衣服は寝台の端から器用に落ちていった。
 此処にはcanvasが多くある。丁寧に仕舞われた其れ等には全て優しい色で描かれたみょうじの姿が在った。
「ア……。いや……だめ……。」
「嗚呼君の嬌声を聴くのは久方振りか。もっと聴かせておくれ……。」
 みょうじの腰がカクカク揺れる毎に、寝台が聞こえるか聞こえないか位の、焦れったく細やかな音を立てる。
「私の事が好きかい。」
「ア……アア……。」
「好きと言っておくれ。」
「好き……好き……。」
 澁澤はめろめろ瞳を溶かした。みょうじは珈琲の味を知る。澁澤は奥へ進みみょうじはそれを受け入れる。伴っているようで。
 此処には優しい色のみょうじが描かれたcanvasが沢山在る。
「嗚呼なまえ……。私の可愛いなまえ……。」
「ア、嫌、いや……。」
 此処には優しい色で描かれたみょうじが沢山居る。そして其れ等は澁澤の精液を用いて描かれている。みょうじの腹の膨らんでゆくさまが、一枚出来る毎にまた描かれていった。其れ等のみょうじは主に裸体であった。みょうじは何時も澁澤のatelierに居た。




 護謨ゴムの中に澁澤の精液が注がれた後、澁澤はその護謨を直ぐさま回収した。快感にやられてぐったりしたみょうじを横抱きにして台座に向かい、座らせると、筆を取った。下書きエスキイスなく其のまま色を乗せてゆく。筆先は一々護謨の中に浸けられた。
「澁澤さん。わたし辛い……。」
「壁に寄りかかると善い。」
「ああ……ああ……。」
「自慰をしていても善いよ。」
 描く間、みょうじが泣いても澁澤の手は途中で止まらなかった。




 身支度を整えると、みょうじは澁澤のatelierからふらふら出ようとした。其れを澁澤が引き留める。
「何処へ。」
「何処って、家に帰るんですよ。また明日から稼がないと、産んだものの勘定が合わなくなるのでね。」
「どうでも善いだろう。」
「娘を売春婦にさせるわけにはいきませんから。わたしはそこらでくたばれますが、彼奴にはきっと出来ませんから。」
「私が面倒を見てやるから。」
「娘のですか? それはありがたい話だな。」
 澁澤はムッとして、みょうじの腕を掴んだ。
「君は私のものだ。君の腹も、君の肌も。私だけが知っている。」
「わたしは貴方のですか。構いませんよ。」
 自分を掴んだ澁澤の手を持ち上げて、その指先にキスを落とした。
「でも後者は間違いです。」
 娘の出処・・というのはみょうじにとってさして問題では無いのだ。みょうじは手を離すと、懐かしくじりじり焦がれる此処から出て行った。