suien ni tokeru 下
蛍光灯の白い光が束になった天井、その明るさに今更目がさめた。
ねむさの残ったからだが、それでも体を起こして時間を気にする。外はもう真っ暗だった。
制服に布団がやっぱり気持ち悪くって、もぞもぞと布団を剥がす。すこし、シーツを手で握って、自分の目が覚めていることを再確認した。
……眠りで逃げていたけれど、横を見れば見慣れた白髪が見えた。伏せた目をそっちにやって、でも見たくって、見た。澁澤は本を読んでいた。
「早く帰りなさいと、言ったのにね」
パイプ椅子に足を組んで、静かに座っていた。
わたしが見つめれば、ぱたんと閉じる。
「まったく、君はいつまで経っても私の言うことひとつ聞きやしない」
…………苦しい沈黙に、部屋と澁澤の白さが痛かった。わたしが名前を呼ぶと、澁澤はなんでもないみたいに、何だ、と返事をした。
「本が気になる?」
……首を振る。
「空腹かい。長く寝ていたんだろ」
首を振る。
「ああ、保険医から、ご両親には連絡してあると聞いたよ。家までは私が送ることにしておいたが」
そうじゃ、なくて。
……、……自分のせいなのに、被害者ヅラみたいに泣く姿を見せたくなくて、そっぽを向いて黙った。
シーツに涙が落ちて、はたはたと音を鳴らす。うざい。止めたいのに。自分が泣いてるって理解したら、もっと止まらない。
澁澤はいつもそうだ。
そうやって、わたしの逃げ道をいくつも用意する。
「……私のほうを。向いて。私を見なさい」
きっと、これから紡がれる言葉だって、そうだ。
それが、何故か今はたまらなく嫌。あたまが熱で膨らんで、どうにかなりそう。
しばらく言うことを聞かなかったけど、すこしだけ観念して、俯いたまま頭を戻した。
髪を耳にかけられ、顎を掬われてしまう。
それでも目が合わないと、澁澤は、ほんのすこし大きめに呼吸をした。
「気にするなよ。私がああしたかっただけだ。君が私に言ったことは、何も関係がないよ」
だから、君が泣く必要はない。
「……泣かせたいわけじゃ、ないんだ。大体、あんなことを言われたって、実行するほうがおかしい。君だってそう思うだろ」
当然みたいに言ってみせるけど、そうじゃない。本当はそうじゃないはずだ。
わたしは、やっと澁澤を見た。と言っても、拗ねたような視線しか送れなかったけれど、それでも紅いひとみと目が合ったとき、それはやっぱり、嬉しそうにほころぶ。
そのしぐささえ。
「強いて言うなら、そうだね。嬉しかったんだ」
澁澤がわたしを好きそうにするたび、泣いている今でも泣きたくなる。
わたしはこのひとがさびしそうに笑う瞬間を、そのわけを、知っていたのに。
「君が本心で望んでいないとわかっていながら、叶えてやりたくなってしまった。そうすれば、……それだけだ。あの日きみは、浮かない顔をしていた、……今もね。……そんな顔をさせるのなら、雑に願いを叶えるより、そう願ったワケを、もう少し考えてやれば良かったね」
紡いで、紡いで、なんとかわたしが傷つかないようにしている。
今更になって気づく。それほどまで深くしていてくれたことに。
わたしは尚も沈黙した。明確に、お別れが近い。何故だかそう思う。わたしも澁澤も、それをわかった上でここにいる。
そんな気がした。
「どうやら私は、」
君の傍にいないほうが。……
その言葉の続きが、澁澤の口から出ることはなかったけれど。
それだけでも、ひどく自分が怯えたのがわかる。
これも、わたし次第なのだろうか。わたしがこれにYESと言えば、これでお別れになる? わたしが起こしたことのくせに、そんな決定を、わたしが? ……
駅まで歩いて、冷たい風に当たるなかでふと何かを思いついては、消えて消してを繰り返した。
単純ないつものルーティン、その流れのなかでの澁澤との帰宅が、なぜか遠くせつない。
「じゃあね」
親しげに言われたそのひとことが、頭の奥でまだ響いていた。
「今日ガッコ行かないの?」
「いかなあい」
「あらそー。体調?」
「ちがうけどやすむ」
「もう授業ってないんだっけ?」
「なあい」
「ならいいけど。出席日数は数えてねーん」
考えて考えて、考えすぎてイヤになった。ので、学校に行くのをやめた。
高校3年生の出席なんてあってないようなものだし、行ったって試験後は授業なんかしなくって、訳分かんないレクリエーションだけだ。そんなののために外に出る必要ない。
もう1回眠って、半端な時間に起きて自分が嫌いになった。テレビを付けても面白い番組なんかひとつもなくって、写っている人間もムカつくやつばっか。
言うことがみんなみんな面倒な女教師に似てる。
電源を消して、ごはんだけを楽しみにだらだらして、昔に飽きたゲーム、本、服屋さんのホームページを見て、眠くなったら浅く眠ってを繰り返した。お昼はママがお弁当を買ってきてくれて、食べられないものはゴミ箱に捨てた。明日の時間割は知らない、今日のことだって。
……クラスではなにしてんだろ。あいつも。
どうでもいいスマホゲームも上手くなってきた頃、ママがドアの向こうでわたしを呼んだ。
「何?」
「友達来てるよ。男の子」
ばちんと頭が覚醒して、顔のまわりが冷たくなった。
「なんかすっごい大人びた子。なまえ呼んできてって」
……思い当たるヤツがひとりしかいなくって、指が変に震えた。
たぶん、澁澤、だと思う。
何をしに来たんだろう。なんでわたしに会いに来たんだろう。
昨日の続き、なんだろうか。
本気で悩み出した頃、ママが勝手にわたしの部屋に入ってきて、後ろ手にドアをバタンと閉めた。
なんだか、顔が引き攣ってる。
「あのガキンチョやばいわ。ママに向かって玄関先で小一時間説教してきたわ」
……澁澤のことをガキンチョ呼ばわりするのは、世界中探してもママだけだと思う。
「しかもなんも言い返せなかったわ」
「まけてんじゃん」
「なんにもなく学校休むの許しちゃだめだって。だあってママの頃は高校なんか卒業しなくても生きてける時代だったんだもん」
娘の苦悩なんかなんにも知らないママがぺちゃくちゃ喋る。
そういう様子を見ていて、……たぶんママに澁澤追い払ってって言っても嫌がられそうだし、そもそもまた負けて帰ってきそう。
もーいいって思って、何を言われてもどうしたって、澁澤のこと全部わかるわけないから、昨日お別れみたいなこと言ったくせして会いたいなら、会ってやろうと思った。
パジャマのまま階段を降りる。髪もぼさぼさで、なんか言われそうな気もするけど、とりあえず出る。
「なんだその格好は」
やっぱ言われた。
制服の上にコートを羽織ったいつものその姿を見て、きっと緊張するだろうと思っていた。
でも不思議とそんなことはなくて、むしろ変わらずわたしの前に現れたことに、たぶん、安心した。
……なんで来てくれたんだろう。あれでさよならじゃないんだ。
よかった。
「体調わるいからねてたの。パジャマでトーゼンでしょ」
「ズル休みだろ。昨日から」
「……そーだけど」
「なら、早く着替えなさい」
「もう寝るだけだから必要ない」
そこまで言うと、澁澤はわたしに手を伸ばした。
デコピンをされる。
「いたっ、なに」
「忘れたのか? 服を見に行くんだろ」
「え」
「言ったろう、相応しい格好をしろと。買ってやって良いが、最低限は着て貰わないと困るよ」
わざわざ学校最寄りの駅前まで往復して、こいつは何がしたいんだろう。
家から出て歩く間、澁澤の後ろを歩きながら思って、でもたぶん、これがしたいことそのものなのだろうとも思った。
一昨日みたいに手を握ってくることもなくて、ただ今日学校であった出来事、というより、わたしがちゃんと登校していたら知っているであろうことを一から説明された。
それに、わたしがハイハイ言って終えるだけなら、いつもと変わらない。でも今日のわたしは拗ねたみたいに何も返事ができなかった。
無視してるみたいに相槌も打たないで、ただ澁澤の後ろを着いていくだけのわたしに、いつしか澁澤が「聞いてるのか」と言った。苛立ったような口調じゃなかったけど、聞いてなかったから変な汗が出た。
「なに」
「いつまで後ろを歩くつもりだ、隣に来なさい、隣に」
……やっぱわたしこいつのことわかんないかもしれない。澁澤とこんな、喧嘩じゃないけど、ちょっとギスギスしてることなんて今までなかったからわかんないけど、そんな時に怒ることは位置取りの問題じゃないと思う。
でもやっぱりわかんない。こいつもしかして全然ギスギスを感じてない?
澁澤は、どういう思考回路をしているんだろう。
だって、わけがわかんない。昨日わたしの手を握ったのはなんなの。サヨナラみたいな前振りしといて、かんたんにわたしの前に姿を表して、どういうつもり。
わたしのことが好きって、どの好き?
わかんないなら、わかんないで終われないなら、どうすればいいんだっけ。澁澤のこと知りたいなんて、思ったことない。
「…………澁澤、は」
「ん」
「澁澤は、どーしたい、の」
拗ねて、思わず足が止まる。あたまがむしゃくしゃしてもう一歩も歩けなかった。
自分の機嫌なんか、自分でとれない。いっつも澁澤にとってもらってたから。
思えば、わたしと澁澤って、振り回されてたのはどっちなんだろう。……ううん、わたしのほうが振り回されてるに決まってる。だって、今だって、澁澤に八つ当たりしたいくらい澁澤にごちゃごちゃにされてる。
「私はね」
わたしが止まったことに澁澤も気づいて、振り返ってくれる。
それも、今は素直に受け入れられなかった。へんにむかつく。そのまま歩いてって、遅く気づいて、わたしがいなくって焦ればいいのに。
「私の好きなようにしているよ。いつでもね。その為の義務も果たしている、力もつけていると思っている」
振り返って、こっちに歩いてくればいいのに、澁澤はそうしない。へんな距離のなかでも澁澤は堂々と喋る。わたしに向けて、当然みたいに。
「だから、そうだね。君が私にわがままを言わないと、フェアじゃないんだよ」
「……。わたし、けっこーわがまましてきたけど」
今日ここに澁澤がいるのだって、わたしが家にいたのだって、ぜんぶわたしのわがままのことだ。わたしのわがままがなかったら、澁澤は早く家に帰って自分の時間を過ごせてたはずだ。
「足りないね」
それでありがとうも言わないわたしに、澁澤はわがままが足りないと言う。
いじけて見れなかった澁澤の顔を、見た。怒った腹いせっぽくもなくて、涼しい顔をしていて、澁澤の感情はよくわからなかった。
でもたぶん、ずっと、まっすぐわたしを見てたんだと思う。
「私の人生を覆すようなわがままを、言ってみなさい」
良好に長続きする関係とは、対等なものだろ。
そう言うけど、じゃあわたしは、もう澁澤に人生を覆されてるってこと? そんなわけない。ないのに、澁澤が望むものはそれだと言う。
……むずかしい。いつもみたいに、教科書のわかんないところを、聞いてもないのに噛み砕いて説明するみたいにしてくれればいいのに。
わたしはすこし考えて、でもそんなのわかんなかった。だいたい、澁澤から絶交みたいなこと言っといて、わたしにワガママ言えって指図してくるのは何? 人生を覆すって、じゃあ総理大臣になれって言ってもなるってこと? パン屋とかも? めちゃくちゃ悪くなって暴れて指名手配になって世界めちゃくちゃにしてみてって言っても、澁澤はそーするってこと? そんなわけなくない?
「わかんない。なんて言えば、いーの」
「わがままを言えば良いんだよ」
「……。ねーえ、……」
いじけていじけて、むかつくのに怒れない。むかついて相手にしないで帰ってもいいのに、澁澤との今が変にやさしくて、できない、わかんない。はなれたくない。
「わ かんない……」
「……言いたくない?」
「かわりにゆって」
「ん?」
「わかんない。ゆって」
「君のわがままを、私が?」
「ウン」
「それが君のわがままかい」
「……ウン……」
ポッケに手をつっこんで、俯いて目を逸らした。
しばらく待ってたら、いつの間にかこっちに来てた澁澤に、両手で頬を包まれる。
「つめたッ」
澁澤の指はびっくりするほど冷たかった。顔を持ち上げられて、目と目が合う。
「…………君は、私とキスしたいと思っている」
「……。は?」
「ここでキスして、手を繋いで買い物に行く。そうして隣駅まで足を延ばして、イルミネーションの続く道の途中で私の告白を受けたいと思っている」
「なにいってんの?」
「そして19時までにはきちんと帰宅する。明日は普段通り私と通学したい。そうだね?」
「ねえ、」
「可愛く泣きそうな君は、そうしたい。そうだろ」
…………澁澤がそうしたいだけなんじゃないの。
わたしたちってなんでこうなるんだろうと思う。聞きたいことも言いたいことも山ほどあった。
けど、差し出してしまったものはどうしようもない。奪われるよりましなんだろう。
何より、悪くないと思った。
そうしたいと思った。
「したい」
「良いよ」