あいのなく


 ただのドライブデートなんかになるわけもなく、港の傍に停めた車の中でセックスをした。わたしたちはまだ朝日が登ったばかりの、ゆるく明るい色をしていた。
 海を急ぐ幾つかの漁船がまばらに出港していて、今は漁師の始業時間なのだと思う。
「朝ごはん食べていく?」
「ああ……」
 別に食べたくもなさそうな息を吐いて、ぼんやりしてる。
 ねむたいみたい。
「適当に何か買ってこようか? 休んでてもいいよ」
「……」
 返事はなく、上着を着るのを止めなかったから、察してマフラーを巻いた。

 外は早朝らしく寒かった。龍彦の手も寒そうにしていたから、巻き込んでわたしの上着のポケットに仕舞い込む。
 このあと朝市が始まるようで、設営準備に勤しむ人や、早めに来た客がちらほら見える。
「ちょっと早かったね」
 ゆっくり歩いていく。
 ときどき足場が悪くて、手を離した。また繋いでいく。龍彦の手からお迎えしてくれることはなかったけど、それはわたしのことを待ってくれているからだと知っている。
 龍彦が見つけた自販機でコーンスープを買って、ふたりで分け合った。
 コインが自販機に入る音は好きだ。
「朝ごはん、これでいい?」
「ん」
 朝ごはんはこれで終わって、じゃあすこしだけ漁港を見て回ろうかということになった。
 漁師の人だろうか、おじさんたちがいきいきとして発泡スチロールの白箱を持ち上げ運んでいる。顔はみんなすこし怖そう。けど、話せばきっと気のいい人も大勢いるのだろう。
 新鮮にきらきら光る魚たちが、氷のなかに沈まって口を閉ざしている。
 魚を見つめるために立ち止まった。魚は死んでも魚顔だから。
 いろいろある。……ぜんぶアジにしか見えない。
 当たり前のように、きっとすべてが食用だ。わたしはお魚を捌けないけど、龍彦ならさっさとできちゃうんだろうな。
 ポケットのなかの手をきゅっと握る。指を擦り合わせてあげると、ねむたそうに胸を寄せてきた。
「戻ろう。車に」
「おさかな、見るの退屈だった?」
「ねむい……帰ろう」
「もうちょっと」
「何を見てる」
「おさかなの顔」
「今度、水族館に連れて行ってやるから……」

 水族館なんか、ひとりでも行けるのに。
 手を引かれて、わたしはそれを振り解けない。
 わたしは、昔と変わらずこの人のことを好いているのだと思う。変わらず、愛おしい。気はずかしいけれどそうだ。



 わたしが死産してから、龍彦はわたしが死んだいきものの瞳を覗き込むことを嫌った。
 そんなの、変だと思う。だってよくあることだろう。

 一一ああ、ちがう、ちがう、うそ……

 あの瞬間、わたしと同じことを言って、同じ思いをしたひともいたろうに。
 わたしは死んだこどもの顔を見たが、それじゃあ父親を亡くしたひとが、父親を亡くした主人公のおはなしを読むのは? そんなにかなしいことだろうか。殺されて、そして殺されたひとが読むのなら、まだ恐ろしいが。

 ――ちがう、ちがうよね? たつひこ

 わたしは寧ろもう安堵したと、そう伝えたらどうだろう。
「もうどこも寄らないで帰る?」
「昼はどこか寄ろう。君、腹が減るの早いだろ」
 どこに?
 腹からほかのひとが出てくるのは、すこし怖い。何かが持っていかれそうな気がしてしまう。
 何かが持っていかれて、そしてその瞬間、何かになる。それだけなら憎悪で済んだ。
 でも育てたりしたら、好きになっちゃう。おさかなの養殖とひとの飼育は、はっきりちがう、失うタイミングは大事だ。食べたらおしまい。それでいい。きれいにして食べるの。骨を唇で食んで、脂ですべらせて、…………いいやちがう、そう、焼いて食べて燃やす。そのみっつ。そのみっつだけで切り結ばれて終わる。骨が残って、骨は誰のものでもない。
 わたしの食べた身が、いまさら骨をほしがるか。
「何を食べようか」
 一日置いた遺体を、燃やす。それだけだった。
 ちいさいからか欠片も残らなかった。
 置いた一日をどう過ごしたか、わたしは覚えていない。龍彦は覚えてるだろうけど、訊いても教えてくれるかはわからない。きっと、たぶん嫌がるだろうから、一生訊きはしない。
 死体というのは、もう誰のものでもない。死をどう定義するかと言ったって、そんなの、何も持たなくなることだ。
 もう一年も前の話だ。なんの感情もなく、気持ちがいたい。
 おじいちゃんが死んだときだって、こんな気分にはならなかった。
「おいしいパンが食べたいな」
「モーニングに間に合うところにしようか」
「サクサクしてないパンがたべたい」
「色々あるが」
「パンで、かたくないやつ」
「ベーグルで良いかい」
「うん。好き?」
「君が好きなら好きだよ」
「じゃあ、大好き」
 愛せたはずのものを失うのは、もったいないね。
 瞳を大きく開いて、ゆっくりため息をつく。龍彦にシートベルトをつけ忘れていることを叱られたら、言うことを聞いてからお気に入りの曲をかけた。