鍋底のヴェーダ


リクエスト
ついったに連載していた「バカにやさしいドストエフスキー」シリーズの短編








「フェージャフェージャフェージャフェージャフェージャ!!!!」
「聞こえていますよ」
「来て来てきてきてきてフェージャフェージャ」
「ぼく今ちょっとお仕事してますからね、ちょっとだけ待っててくださいね」
「あーん見て見て見てみてみてみて」
「もーしょうがないですね。赤ちゃんなんですから……なんですか」
「これ!」
「絵を描いたんですね。女の子の絵ですか。とても上手ですよ」
「これわたし」
「? ……いつも貴女が描く貴女とは違いますが……」
「わたし、これでぶいちゅーばーになる!」
「えっ」
「ひゃくまんにんふぉろわーのぶいちゅーばーになって、おかねをいっぱいもらって、フェージャを楽させてあげるからね!」
「えっ、……ありがとうございます、でもそんなことをしなくても、」
「すごいがんばるからね! すごいがんばるからひゃくまんにん突破するまでは一緒に寝るとかはしない」
「は? なんでですか?」
「がんばるから! いっぱい稼ぐからね! 老後は旅行とかいこうね!」
「……(ほんとうに自分との未来のために行動しようとしているのは理解出来たため複雑な心境)」
「うおー今からがんばる! まずは宣伝からだー」
「はい、頑張ってください(ニコ)」



「(一夜のうちに100万アカウントを作成しなまえがライブを開始するとともにひとりで幾つものアカウントを操作しライブの進行に沿った投げ銭コメントを光の速さで打ちまくるドストエフスキー)」
「主様……(ほろり)」





 ということがあってから数時間が経過した。なまえは一夜で目標を達成したことに何の疑念も持たずに満足して(ばか)、すぐに飽きてしまった。そういうわけで今回はなまえの可愛さが広く知れ渡ることを阻止できたわけだが、自分で稼いで自立することを覚えてしまうかもしれないので、やっぱり昨夜のことはなまえの記憶から消しておいた。

 雪の積もる朝、彼がなまえを食べる絵が飾られているなまえの部屋のなか。
 ふたりは、1杯のスープとまるいパンを食べていた。
 ひとつに飽きたなまえは今朝から考え事に夢中になりがちで、誰よりも頭の良い結論ばかりを思いついている。たとえばじんるいめつぼう。たとえばちきゅうばくはつ。
 それが表に出されることは、彼が許さなければ永遠には有り得ないが。
 あるとき、フョードルはわざとらしくスプーンを落とす。そうしてすっかり痛めた手をさすって、しくしくした。
「ああ、痛いです」
「……(瓶詰めはちみつのきもちについてかんがえている)」
「…………」
 がちゃん!
「あえ!?」
 なまえが気づかなかったので、次はスープの皿をテーブルから払い落とした。それでやっと彼のことを見たなまえに、彼は即座に憎しみへと消化される苛立ちを沸かせつつ、たいへんにやさしく満足した。
「どうしたのお! きらいなもの入ってたのー」
「手が痛くて、うまく動かせなくて……うう」
「ええ! 大丈夫!? 動かせる!?」
「もう1ミリも動きません……(嘘)」
「えーっどうしよう、ごはん食べられる?」
「食べられません、どうしましょう、お腹が空いて仕方がないのに……(嘘)」
「そんなに痛いの!? 腫れてるの膿んでるの!? どうしたのお!!!!!」
「いたたたたたたたたた゛(本当)」
 心配したなまえが全力でフョードルの手を握る。ほんとうに心から心配してのことだったが、フョードルの嘘がすべて本当のこととなるくらい全力で握ったものだから、なまえのおかげでフョードルはまったく嘘つきではなくなってしまった。
「えーっそんなになの! 大丈夫!?」
「大丈夫じゃないです(本当に本当)」
 なまえにトドメを刺されたフョードルの手指は細かく震えたまま応答しない。可哀想に、しかし幸福だ。ただすこし女に奉仕させたかった彼の欲は、過程は少々異なれど結論としては善いものとして叶いそうである。
「じゃあ今日は、わたしが食べさせてあげるねっ! はいパンだよーっ」
「ありがもご……」
 ひとくちがばかみたいにデカいなまえの標準の大きさに千切られたパンを口に突っ込まれた彼(ひとくちがお上品なひと)は思いっきり口が塞がってしまう。
 とはいえ愛しいなまえがしてくれたことなので、健気にできる限り咀嚼を試みる……が、努力も虚しく途中で噎せて吐き出してしまった。
「わあーっ」
「…………、……」
「えっと! えっと、どうしよう……」

 ……
 大丈夫です、大丈夫ですからとジェスチャーでなまえを落ち着かせてから、さまざまな状態をひと通り回復。
 口元を拭いて、息を整える。
「ごめんね……」
 自分に対して申し訳なさそうな顔をするなまえを見て、これはこれで良いと微笑んだ。
 だって、なまえがこういう失敗をするのは、わかっていた。
「いいえ、いいえ。ぼくのためを思ってしてくれたことなのでしょう? 嬉しかったですよ」
 なまえの頭を撫でて、頬にちゅっちゅと幾つかのキスをする。
 するとなまえは、しょげた眉はそのままだったが、そのうちうれしさで頬を赤らめながらフョードルに擦り寄った。
「おこってない?」
「そんな。怒るなんてしません。だって、ほんとうに嬉しかったんですよ? ああ、そうだ。今日のご褒美に、夜はケーキを食べましょう。なまえの好きな、あのケーキですよ」
「……ふぇーじゃ!」
 きゅうきゅう抱きついてくる、かわいいかわいいなまえを抱きしめ返して体温を感じる。随分と温かい。子どもみたいな体温だ。
「ケーキ、たのしみ! あのね、次はね、次は失敗しないようにするからね!」
「おや、夜もしてくれるのですか。今日は良い1日になりそうです」
「もちろんだよっ!」
 ところで先程からなまえを撫でたり抱きしめたりしているフョードルの手は既に正常に働いているわけだが、そんなことまで頭が回らないなまえである。抱きしめてもらえて、単純に喜んでいる。
 しばらくスキンシップを楽しんで、ではご飯の続きを食べましょう、とテーブルに向き直った。
「冷めてしまいましたね。温めなおしますか?」
「んーん、大丈夫。それより、失敗しない方法で食べさせてあげるね」
「おや」
 それは、どのような。
 聞く前に、なまえがパンをぱくりと口に含む。口に入れたらよく噛まずにごっくんしてしまうなまえが、なぜだか長くもぐもぐする。
 ていねいな咀嚼を、して。
「 、」
 その顔の清らかさに彼は蠢くように思い至る。
 しかしあまりの驚きに己の未来予想の認識が出来ず、結局不意打ちを食らうこととなってしまう。
「ン、」
 彼と彼女の口が合わさって、彼女が吐き込んだ温かなパンの体液がどろどろと彼の口へ流れていく。温かく心地良いとろりの感覚、彼が咄嗟に飲み込もうとしたもののうちから彼女の柔らかな舌は抜けてしまったが、それはただ自然に彼の胃にたどり着いて。
 それでようやく、彼と彼女の料理が済んだ。

 ぷは、となまえが口を離す。……瞳を見つけて、合わせて、笑う。
「……ほら、ちゃんと食べられた。わたしが噛んじゃえば、問題ないもんね」
 …………その彼の彼女の、なんと下心のないことか。
 これが素晴らしい。これこそが彼女に与えられた祝福。
 ならばこそ、彼はペニスの勃起を何事とも捉えず済ます。このとき、彼と彼女に、性の認識から相違に至るまでのものどもは用意されていなかった。ただにんげんで、やわらかなうごく肌であった。
 もうひとくち、ひとくち、胃のなかがふたりで作ったスープで満たされるまで、彼は椅子に縛りつけられたように動かなかった。

 《スープ》はすべての料理の先に在る。胃の中が愛に満ちて、そのものの生命が試され正される際にそれは明らかになる。
 それは、とても頭のいいこと。
 いっぱいの彼の胃は幸福と直結し、創世から滅亡までのすべてすら済まされたように思う。
「おいしかったねー。食べるりょうり、いつもおいしい!」
「……ええ。今日は特に格別でした。また食べたいものです」
 ふたりで食べた、お皿を重ねて。
 でもお皿は、ふたつでひとつに成ったりしない。そんなふたつの隙間のなかで、スープはじっとお皿を見てる。
「そんなに気に入ったの! じゃあ、まいにちパンとスープにしてもらおう」
「それはいい考えですね」
「あとけーき!」
「ケーキはたまにじゃないとめっです」
「なんでえ!?」
 今度は、きっとなまえの腕を折る。いっそ神経を切る? さてどうシナリオをつけて、また料理を作ろうか。