suien ni tokeru 上


 学生しかいない割にしがらみの多いところだと思う、ここは。
 先生もいるけど、そんなのごく一部っていうか、学生時代の色々を自分の月給のためにとりあえず回してる人ってかんじがするし、そのくせ統率できる箱の中に虜になって、そうやって上に立とうとするくせにこっちの若い時間になんとか干渉して何かを得ようとしてくるのが透けて見えてキモイ。見えなくっても、見えるだけでそうじゃなくっても、キモイ。
 一方生徒は、名門校だからみんなお勉強はできる。でも子どもが理論を身につけはじめた汚さがかなりガキっぽくて良い。そんなかんじだ。
 かく言うわたしもかなりガキ、で、どっちかと言うと先生からしてみたら単純に厄介な勉強しないガキだ。そんなんじゃ愛嬌みたいなのを使ってでしかここじゃ生きてけないって分かってたから、出来のいいクラスメイトを味方に回してはしょうがないな、で先生から庇ってもらっていた。
 それがクラスメイトたちのいい思い出みたいになればメーワクではないだろうし、同年代のコに構ってもらえるのはすっごく嬉しくて楽しい。その子たちがなんかやっちゃったら代わりに怒られてもぜんぜんいいし、むしろお叱り中の先生のおしりとかにマッチで火をつけてもいい。そんなかんじ。そんなふうに友達とペタペタ過ごせれば、勉強なんかしなくってもぜんぜん楽しいのだ。
「同性とはいえ抱きつくのはやめ給え」

 楽しいって言ってんのにジャマするやつもいるけど。

「仲良しだから変な意味ないもーん」
「はしたないだろ。公衆の面前ですることかね」
「じゃふたりっきりならいいのー」
「……。駄目だ」
 わたしだって別に、誰彼構わずペタペタひっつくわけじゃない。ちゃんと相手は選ぶし、そもそも絶対異性にはしない。
 でも澁澤っていう鬼才は、やっぱりそういうことにも潔癖みたい。目の前で好きにすると後々小言を言ってくる。めんどくさい。
 めんどくさいけど、この人にいちばん色々をなんとかしてもらっているので、どうでもよくお説教を聞きはする。
 聞くだけで、聞き入れはしないけど。
「はーあうるさいなあ。ねー甘いものも食べたい、追加したあい」
「……」
「ありがとー」
 先生たちは、わたしに何かを言うのを諦め気味だから、今じゃ澁澤がいちばんわたしをしかる。面倒だと思うけども、でも信じらんないくらい頭が良いくせして、わたしみたいなばかにも構ってくれる、まあ優しいと言えば優しいやつなのだ。
 差し出されたメニューにひと通り目を通して、やっぱり今食べたいような甘いものがなかったから、閉じてソファの端っこに置く。
 自分のキゲンをとるのって、ムズカしい。やっぱり、誰かにとってほしい。
「要らないのか」
「んー」
「どんなものが欲しかったんだ」
「なあんか、そーだな……こういうケーキとかじゃなくて、なんだろ、おだんごとかおモチ……」
「なら、駅前に変えよう」
「ええっ」
 そう言って澁澤は立ち上がってしまって、伝票を持ってさっさとレジのほうに行ってしまう。
 別に店を変えるほどじゃないのに。全然話聞かなくてやんなる。
「まってよー」
「君が前に言っていた、おはぎやさんにしよう」
「おはぎやさん……」
「まったく。希望があるなら早く言ってくれ」
 別にここに無いならそれで終わりで良くって、食べに行きたいほどの欲望もない。なのに叱られて、わたしはすっかりフキゲンになる。
 対する澁澤は、どこか満足そうにしていた。



 澁澤がわたしに何を思っているか、たぶん、澁澤よりもわたしのほうが分かっていると思う。
 わたしを叱りたいのも、叱りたいのに甘やかしたいのも、明確にそうだ。
「澁澤が行きたいとこないの」
「ない」
「おまえがデートしたいって言ったんでしょ」
 わたしがこの人を愛することは一生ないと思う。それこそ、このひとよりわたしを愛するのが上手な人だって、もっとたくさんいるだろう。
「そうだな、君の行きたいところについて行くような感覚が良い。それでいて私が君を連れるような、君には難しいか」
「なんだよお。ばかにして」

 このひとは優しい。
 もとい、優しさを人に思わせる振る舞いをする。

「冗談だ」
 でもその実、何か破滅的なところまでもをどうでも良く思っているのだと思う。それが彼の才能のひとつだとも思う。
 彼のような才能のあるひとが、わたしなんかに構ってみせたとして、結局は何を言っても上滑りするのだ。
 簡単に言えば、彼の頭の良さに恋や愛はまるで合わない。彼が行うにしては片思いはばかみたいなことで、与えるだけの相思相愛なんてもってのほかだ。
 丁寧に上辺だけで、薄く、柔らかくってやさしい。なにか、どこか不憫だ。わたしみたいな、楽しくっても怒っていても、何をするにしても悪意のあるヤツとは、あんまり関わり合いにならないほうがいいと思う。
「週末も会うことになってるけど、それもわたしの行きたいとこ行くの?」
「そうだ」
「なんでよ。スケジュール帳奪ってまで書き込んできたくせに」
「その方が、良いだろう」
 つまんないひとだ。相手を最優先して丸投げしたって、いつか破綻する。
 お願いの叶え方も下手っぴなのに、叶えた気になって満足する。その仕草にはちょっと飽きてきて、でも恩恵があるから、澁澤との関係はこのままを維持している。
 そろそろ高校の卒業も近い。大学までエスカレーター式に進学できるけれど、たぶん澁澤は別のところに行く。わたしは、落第さえ喰らわなければこのままだろう。

 離ればなれになれば、縁も切れる。
 縁が切れることについてのさみしさはあるけれど、手を伸ばすまでのことはない。だって、わたしがYESと言えば、成立してしまう状況というのは、なかなかに重荷だ。大した意味もなく澁澤と連絡を取り続けたりなんかしたら、それで人生が大きく異なる。
「強いて言うなら、行く場所に相応しい格好を、とだけ助言しておこう」
「助言じゃなくて小言だ」
「小言じゃなくて助言だよ。いや気にするな、君が良いと思う格好で来なさい。足りないものは、出先で買ってやるから……」






 週末になって、結局行きたいところも思いつかなくって、外に出るのもめんどうだったから家に呼んでしまった。
 一瞬、家を教えるのはどうかなと思ったけど、でもドタキャンも後がめんどくさいから勢いで住所を送った。
「まさか君が家に招いてくれるなんて」
 雑に呼びつけといてなんだけど、来るほうも来るほうだと思う。
「いやだった? 近所くらいなら出てもいいけど」
「まさか。実に良い気分だ。それはそれとして、今日は泊まってもいいのかい」
「そっちのほうがまさかだよ」
 澁澤が買ってきてくれたケーキの箱を開けて、中からタルトをふたつ取り出す。つやつやにコーティングされたくだものたちが目に眩しい。
 ……お茶とか淹れてみようかな。やったことあんまりないけど、もらってばっかりなのも。
「だめかい」
「夜には親帰ってくるからムリ。てかそれまでには帰ってね」
「残念だ」
 親の公認がつけば、色々楽だと思うんだがね。
 今日の澁澤はよく喋る。機嫌が良いっぽくて、やっぱり余計なことをしたかなと後悔した。


 予想は的中して、澁澤はなんというか、平たく言えば、結構調子に乗っていた。宿題を見てもらってる最中、澁澤はしきりにわたしの髪をいじっていた。ノートを広げた時なんて、指摘しやすいからなんて言って膝の上に座らせようとしてきたし、かなりルンルンなのがわかる。
 機嫌が良いと、自分のやりたいことが明確になるらしい。うざったいけれど、いつもより会話が弾む、気がする。いつもより澁澤との話が楽しい。
 区切りがついたから、澁澤の膝の上に座り直してあげる。
「おわった」
「! ん……そうか。褒めてあげないとね」
「頭つかったからねむい。いったん休も」
「何。君のベッドで?」
「そこ反応するのキモいな」
「先に聞いておくが、今日はそういうことをしても良いのか」
「……どうしようかな。正直可能性くらいは考えたけど」
「………………。……ほんとうに?」
 
「ばかじゃないの」
 ぴしゃりと断れば、澁澤は分かっていたみたいに笑った。
「この私を馬鹿にするなんて、君くらいなものだな」




 わたしは、澁澤とのやり取りのなかで逃げ道があるのが良くって、それで付き合いを続けている。


 たぶん澁澤もそれをわかっているだろうし、だから冗談で諦めたように笑う。
 わたしがわたしを差し出せば、澁澤は間違いなく手にとってしまう。そういう人生の決定が自分に委ねられているのって、嫌だ。
 めんどうで、間違えるとすれば選ぶ瞬間だから、こわい。
 そろそろ飽きる頃だろうに、終わりにもしなければ、強引にもならない。冗談をさびしそうに笑うだけ。
 ……。わからない。好きじゃないのに情は湧く。こんな天才がわたしを好きな理由もわからないのに。









「親がさ」

 放課後。
 調べものの班が一緒になった子たちと、図書室で本をぱらぱら捲っていた。
 窓がいっぱいの図書室はとにかく寒くて、でも窓際のほうが当然に景色が良くって、座る場所に迷ってしまう。
 手がカサカサでページを捲りたくない。つむじ風によって時折カタカタと鳴るガラスの音さえ乾燥している気がする。
「最後の進学テスト、過度に期待しているんだ。最後くらい、って」
「ああ、うちもだよ……最後くらい良い成績とってみろ、でしょう」
 冬だ。
 のんきに窓際の席で外を眺めていたわたしとは違って、みんなはストーブ近くのテーブルを囲んでいた。
 冬の放課後、みんなの顔が不思議と模造紙のつくりものに見える。
 みんな、先生と保護者との面談で何を言われたんだろう。面談の日から浮かない顔が増えた気がする。
「なになんか先生に言われたの。仕返しした? する?」
「そんなのしないよ! 図書室でボクシングするな」
みょうじは自分の調べもの終えてるのか」
「ここ2個くらいわかんないよ、終わり」
「終わるな! 分担してやるから」
 狙い通りでしめしめだけど、なんか言われて大変なら自分でやったほうがいい? それとも人のこと手伝ってたほうが気晴らしになる?
 わかんないけど、話を聞く。ばらばらお菓子を配る。司書にも食わして口止めをする。
「進学テストって、落第しなきゃ大学行けるじゃん」
「それだけで済むならそれなりに自信はあるけどね。何せ親ってのは有終の美を飾らせたがる。今まで僕に興味なんてひとカケもなかったくせに」
「ああ、わかる。私もそんなかんじです。最後だからって決まり良く言われてもね」
「うちなんてさあ」
 口の中にチョコが滲む。ちょっとだけアルコール入りの。わたしって大人になったら酒ばっか飲む人になりそうで、怖い。おいしい。

「最後くらい澁澤君を越えてみろって言われたよ」


 その名前を聞いて、各々が別々の反応を示した。

 まったくおんなじことを親に言われた子もいるんだろう。一瞬のピリつきのような、焦りっていうか。なんだか、暗い気持ちを無理に隠そうとするような暗さを感じた。
 わたしはというと、今日の調べもののためにデートを断ったのでものすごく気まずくなった。澁澤は予定を断るということに対してものすごくしつこい。たぶん、すっごい癪に障るんだと思う。誘う対象も少なければ、その分断られることにも慣れてないだろうから。
「……澁澤君さあ、なんかの手違いですっごい悪い点数とらないかな」
 ひとりが言い出すと、そのあとはいとも簡単に会話が繋がれた。
「ないでしょう。それこそ急病くらいでないと」
「どうだろうね。有り得ないこと語り合って鬱憤晴らすくらいしておく?」
「はは。良いかもね。……」

 わたしみんなを見回した。こういう鬱憤ってけっこー共通するものなんだなという驚きと、それが澁澤に向かう矛盾に、それを多分わかっていながら控えめにも口にする仲間たちへのもどかしい同情があったのだ。
 ずば抜けた才能と、それによって他人に押し上げられた地位、そして元々かもしんないけど、人と馴れ合わない性格が相互作用した結果なのかもしれない。普段なら陰口なんか言うわけない子たちと、陰口なんか言われる筋合いのない子がわたしの傍に今あって、それがもどかしい。なんて言えばいいか、わからない。
「いなかったら、1位とれたなって時もあったな。2年の夏だった。よく覚えてるな……」

 あとちょっとで、はなればなれなのに。陰口なんか言ったら、陰口で終わっちゃうのに。

「……調べもの終わった〜。なんかもうわかんないとこはいい感じにデタラメ書いたよ」
「デタラメでいいわけないだろ! デタラメ書いたのどこだ」
「デタラメに書いたから、当然わからなくなったよ」
「お前………………」
「ねえ、卒業旅行とか行こうよ。行先は、学生っぽいやつ」
「学生っぽいやつてなんだよ」
「遊園地とか?」
「あー良いね。でさ、大学卒業の時もさ、おんなじメンツで行けたら良いよね。違いを感じたい」
「何それ。でも楽しそう」
 喋りすぎて、めんどくさい未来の約束みたいになったから、うやむやにして取りこぼす。
「あ〜デタラメたぶんこことここだ、考えた覚えがないから。じゃあ、はい」
「しれっと渡すな。まあ良いけどさ」
 こういう芸当をやっては思う。わたしには、何もないがすごく良い。……









 電車が揺れるのを音で理解しながら、車窓の外をずっと見ていた。何かが滲むような心地もしたけど、わたしはそうはしなかった。
 澁澤がみんなと和解する方法ってある?
 みんな仲良く、大団円で、なんていうのは、良い終わりの想定のひとつに過ぎないのであって、それだけが善じゃない。だから和解の必要なんて、これっぽっちもない。なのに身勝手な寂しさが胸から消えなくって、落ち込んでいる、そう、単純に言えば落ち込んでいるのだ。
「浮かない顔だ。調べものが上手くいかなかった?」
 いじけた澁澤が、いじけたわたしを横目に投げやりな質問をする。
 これは心配しているわけではなく、自分を待たせたくせに浮かない顔をしていることを詰っているだけ。
 律儀に待ってたのを、わたしがめんどくさいと思ってる、って勘違いしてそう。で、調べもの云々はズレたことを言おうとしてるだけだろう。
「調べものは終わった」
「フウン。随分やさしい課題だったようだ」
「ねえ」
「なんだい。やっぱり終わってないと言ったって、普通にお願いしたくらいでは手伝ってやらないよ。しかし条件によっては、そうだね。考えてやっても」
「テスト勉強ってしてる?」
 訊くと、澁澤は目をぱちくりさせて黙った。
「……なんだい、その質問は。テスト勉強? 君が?」
 めっちゃ失礼な反応だけど至極当然だ。勉強なんかしたことない、澁澤がいくら教えようとしたって聞く耳を持たなかったわたしがこんなこと言ったら、驚くに決まってる。
「やっぱなんでもない」
 とはいえ、なんて言えばいいかわかんなくってなかったことにしようとした
「待て。なんでもないワケがないだろ。何か言われたのか? 担任? 君がいちばん嫌いな英語教師か?」
 けどそんなの上手くいくわけなくて、澁澤はここぞとばかりにペラペラと口を動かしはじめる。
「なんでもないってば」
「いいから言ってみなさい。何だ。面倒見てやるから」
「だからあ」
 今更気づいたけど、今からコイツのテスト勉強をさせないようにしたってどうしようもない。そもそもテスト勉強なんか、要らなそうだもん。
「なんでもないの」
「言わないなら家までついて行くよ。それこそご両親にお会いして、事情を話して宿泊したって良いね。そうするか? 良いだろう私は全く構わない」
「おいーめんどくさい」
「なら言いなさい、今すぐ。良いようにしてやるから」
「ええ〜? じゃあ次のテストで全教科0点とって」
「何」
「も〜いいんだってば。この話終わり、しつこい、それ以上言ったらきらいになる」
「…………わかったよ」

 めったに使わない決まり文句で黙らせて、フェアじゃないから、ポッケに入ってた飴を澁澤の口に差し出した。
 もういっこはわたし。甘いものでいらいらをうやむやにして、ねむくなったから肩を借りて眠った。最寄り駅で起こしてくれて、澁澤の最寄りはもう過ぎてるのに、バイバイを言って帰った。











 春は新しいスカート。そのくらいしか考えてないわたしだったけど、最近はあの子が進級する、あの子が別の大学に行く、ってことを気にするようになった。
 さびしいのかもしれない。わたしってわたしなのに、あんまりよくわかってないんだなと今になってわかった。最近は、行ったことのない土地、見たことのない演劇、そういうのに行きたい。遠くに行きたい。
「おはよう」
 休み明け、先生からの電話呼び出しがなかったから、たぶん赤点は回避できてる。大学に入ったら急に制服がなくなっちゃうから、赤点なかったごほうびにプリーツのスカートをママにねだろう。今までは自分に合う色ばっかり選んでいたけど、持ってない色に挑戦しても良いのかも。
「おはよ。ねえ今日帰りに、駅前の……」
「すまない。今日の放課後は予定があってね。君は早く帰りなさい」
 ……。めずらしい。わたしから澁澤を誘うのもめずらしいけど、それを断るなんて更にめずらしい。
「ふーん。じゃああした」
「良いよ。空けるようにしよう」
「なんかあんの。あるんなら今度にする」
「いや、今日で終わらせるようにはするさ」
 大学から別の学校に行くからかもしれない。なんだか忙しそう?
 知らないけど、今日はつまんない。ママに買ってもらうスカート、目星をつけておきたかったのに。
「朝から不機嫌にしてしまったかな。おいで。ご機嫌とりをしてあげよう」
「いらないよそんなの。やだ、さわんないでってば、も〜なんだよお……」



 澁澤に頬をもっちゃりもっちゃりされながら学校に着くと、廊下の奥に生徒達がたくさん集まっていた。
 そうだ今日は。最後のテストの、貼り出しがあるんだった。
 どうせ下から数えればすぐ見つかるから興味ない。でも、国語が何点かだけ気になるかも? のんきに考えながら歩くと、右手を急に握られた。
「なに?」
「すこしだけ」

 驚いて手を離そうとするけど、案外しっかり握られてしまって、叶わなかった。
 睨もうとしたけど、目が合わない。澁澤はまっすぐ前を見てた。

「すこしだけ、こうしていて良いか。悪いようにはしない」
「なんでよ」
「好きなんだ」
「学校でやめてよ、いやだ」
 手をぷんぷん振る。
「わかった」
 変なことをするわりには、拒否したらすんなり手を離してくる。何がしたいんだか、ほんとにわからないやつだ。
 ちょっとだけ成績を見に行こうかな、と自分の教室を通り過ぎて貼り出しに向かうと、近づくにつれこちらを見てくる視線が多くなっていく。
 気づいた人から、わたしを避けていく?
「? おはよ」
「えっ、ああ、おはよう……」
「??」
 微妙な反応に、内心焦る。はじめてそんな反応された。
 追及するか迷って、でもなんだかみんな見てるし、何だろう、そう思っているうちに貼り出しの近くまで来たから、下から見て自分の点数を確認する。

 そこにあるはずのない名前がはじめに見えて、固まってしまう。

 ……、……。すこしの沈黙をして、ぐるぐる頭が巡って、過去の何かと現状が繋がった気がして頭がつんと冷めて、…………言葉もなく隣を見る。
 なんの動揺もなくわたしの隣に立っている澁澤がいた。
「ああ、澁澤君……その……電話の通り、放課後、職員室に来るように」
 貼り出しの見守りをしていた先生が、澁澤を見つけて気まずそうに話す。聞いた周りの生徒たちが更にざわついて、わたしの頭だけが空っぽに沈黙していた。
「はい」
「ほら! もうすぐHRだ、各自教室へ戻る!」
 騒ぎのなか、澁澤の冷静な返事がして、先生が何かを打ち消すように大声で注意して、みんながバラバラに動いて、ちらちらと見られて……

 ちがう。見られてるのはわたしじゃない。



「ほら、教室に行きなさい。それとも送ってやらないと、君のことだから自分の教室も忘れてしまったかな」
 うざいほど聞いた皮肉だって、なんだか、遠い。
 わたしに届かない気がする。それがすごくさびしくて、ざんこくに思えて、縋りたくて、寒い。
「あ……あた、わたし、え……」
「……どうやら本当に忘れたみたいだ。仕方ないね、連れて行ってあげよう」
 手を引かれる。澁澤の顔は見えない。
「し、しぶさ、澁澤……」
「その調子だと席も忘れたか? 座るところまで面倒見てやりたいところだが、私がHRに遅れてしまうね。あとは自分で何とかしなさい。……間違っても男子生徒の手は借りないように」
「ねえ、」
「ではね」
 わたしの教室前に着くと、澁澤の手は離れて、澁澤の後ろ姿だって、わたしから離れていく。遠ざかっていく。
 いま、はなれたくない、のに。
 ついには見えなくなって、チャイムが鳴ったってその場から動けなかった。









「やばいよ今回、首席だ……俺、首席だ……」
「本当にすごい、かなりすごいことだ。多分、学校の名前とも相俟って就活の時期まで使えるくらいの話じゃ……」
「でも澁澤……流石に手抜きだろ」
「いやそんなことどうでもいいだろう、それでばかにして満足ならそうしておけば良い、とにかく、僕も上位に入った!」
「おれも親に一応言えるな……澁澤君に勝ったって」




 幼稚園舎から貼り出しが始まるようないかれたこの学校の歴史のなかで、ただひとり幼稚園時代から満点の首席を取り続けてた。って聞いた。
 ……澁澤龍彦 の名前の右に連なるゼロの文字が、今でも頭から離れない。

 どうして? どうして?
 わたしのせい?
 この行為の恐ろしさを感じようとも思った。この学校の歴史に残るような功績を、すんでのところで自ら潰す。そんなことを、たったひとりの女生徒に言われただけで実行するなんて。そんなこと。

 けどその前に思い出されるのは、あの時澁澤が何故か手を繋ぎたがったこと。
 そして、それをわたしが突き放したこと。

 あれは、どんな気持ちでそうしたの。
 澁澤は放課後、どんな目にあうの?

 澁澤のわたしに対する気持ちはわかってた。わかってて焚き付けたのなら、それは。でもそんなつもりは。
 考えたって涙が出るだけで、答えは出せなかった。お昼ご飯も食べらんなくて、休み時間に机に突っ伏して泣いていたら、友達にばれて、保健室に連れて行かれた。お腹痛い、生理中なんて投げやりに言ったら、ベッドに横たわってまた泣いた。ずっと考えて泣いて、それで何も変わらなかった。