咲かない雨


 ……仕方ないなあ。ちょっとだけだよ。……と言っても、きみは聞きじょうずだからね。全部話すことになっちゃうんだろうね。……

 澁澤さんとは小学生時代に知り合ったの。昔から、ドライな人だった。頭がよくて、よく人も物も、植物や虫だって観察していた。とっても興味なさそうにね。ぼんやりしているように見えたけれど、でもほんとうによく見ていて、ほんとうに冴えた子だったの。
 じゃあどうしてこんなばかなわたしが澁澤さんと仲良くなったのかって、それは単に家が近かったからね。なにせ隣の家だったから、登校班もいっしょだったし、自然と一緒に帰る習慣がついていたの。
 彼、よくめんどうを見てくれたと思う。ほんとうはやさしいの。というより、やさしくできるのね。でも、人にやさしいって思われるのは、嫌みたいね。人前では全然お話ししてくれなかったけど、ふたりきりの時はよく話を聞かせてくれた。
 学のないわたしが澁澤さんと高校まで同じ学校に行けたのは、そのおかげ。……謙遜なんかじゃないよ。ほんとうに勉強はできないの。澁澤さんがいなくちゃ、受験も失敗してた。……ふふ、うん。わたしのお勉強を見てくれてたの。澁澤さん、すごいでしょ。なんでも教えてくれたよ。わたしの親なんか、塾代が浮くって喜んでた。ひどい話ね。
 毎日わたしのお部屋に来て、予習と復習をさせてくれた。ひとりじゃやろうとすら思わなかったと思う。
 でも中学生になって、毎日申し訳なかったから、いちどだけもう大丈夫だよって、中学生になったんだしもっとやりたいことあるでしょって言ったことがあるの。
 そうしたら、怒られた。
 べつに怒鳴られたとか、なじられたワケじゃないの。
 何をされたと思う?
 ちゅうされたの。
 口によ。びっくりしちゃった。
 不思議だった。彼、一言も喋らなかったの。
 でも怒っているのはわかった。怒っているというより、きっと拗ねていたのね。彼なりに楽しい時間だったみたい。
 その日はそれでお開きになったけど、次の日もちゃんとお勉強会はあった。一緒に帰って、わたしのお部屋に入って、それで。
 ……その頃、ちょっとわたしの成績って下がったの。なんていうか、ふふ、若かったから、でも中学生だし、そういうことも知ってたから、ハマっちゃったのね。
 毎日無駄にちゅうをしてた。ママが麦茶を届けてくれるのを待って、その間に教科書を開いておいて、ママが帰ってから、ぼんやり勉強するのね。でもどこかうわの空で、すぐ手が止まっちゃうの。そうしてどちらかがシャーペンを机に置いたら、もうそこでお勉強は終わっちゃうの。
 キス以上のことは出来なかったわ。だからずうっとキスしてた。思えば無意識にペッティングもしていたかな。手を繋いで、ちゅうして、床に寝転んで抱きしめあって、それで時々またキスするの。
 毎日お股が濡れてたわ。彼も勃起していた。すりつけ合っていたの。でもゴムなんて買えなかったし、赤ちゃんができたら大変だから、えっち出来なかった。わたしたち、良い子で評判だったからね。だからこそ、次のわたしの期末テストの点数が出たあとは、キスはおあずけになってしまったのだけれど。ふふ……。
 お勉強会の間、お互い何も喋らなかった。ただくるしそうな吐息が響いてた。うん、そうね、キス以上のことができないのは、つらかったわ。……ああ、ねえ、思い出したら、えっちしたくなっちゃった。あの頃できなかった分、きみで穴埋めさせて。…………





 …………高校からはきみも知っている通りだけれど、話しちゃおうかな。
 高校生になって、わたしたちのお勉強会に終わりが訪れたの。
 他校に気になる子ができたって。そう言って、わたしのおうちには来なくなった。
 ……その子を気にした理由は、聞いても理解できなかった。澁澤さんにしては、まるで論理的じゃなかった。自分が感じたその子の素晴らしさを、中身のない言葉で形容していただけ。
 なんだか、とても滑稽だった。
 あまりにも唐突なの。変な力に操られたみたいに、きゅうに興味を持ちはじめたの。
 今まで、何にも興味なさそうだったのにね。へんなの。
 興味の対象は、歳下の男の子だった。…………ふふ。そうよ。わたしの夫ね。……。ばか。聞かないで。なんで夫にしたかなんて、分かるでしょ。
 ウソよ。愛してるわ。
 誰よりもね。……

 澁澤さんは毎日、放課後夫の学校に通ってた。だからお勉強会は自然となくなったの。たまに、気まぐれでわたしとのお勉強会のほうを優先しようとした日もあったけれど、わたしすっかり拗ねてしまっていて、わたしから断っていた。自分でできるから大丈夫、それより、今日も行ってらっしゃいなって。
 そう言うと彼はフキゲンになってた。せっかく声をかけてやったのに、みたいな顔をして。
 そうね…………。澁澤さん、わたしの夫と関わっていた時期は、まるで別人だったね。ちょっと傲慢が過ぎていて、わたしの知ってる澁澤さんじゃなかった。
 でも、欲を抱いた人間というのはそういうものよ。それまで何に対しても興味を持たなかった澁澤さんなら、尚更かもね。
 今はそう割り切れるけど、その頃のわたしはむかっとしちゃったのね。澁澤さんがそこまで興味をもつなんてどんな奴だろうって、ある日澁澤さんにひっついて、会いに行ったの。
 それが馴れ初め。変な出会い方よね。
 夫は初対面のわたしにもやさしかった。ちょうどその頃は、ほら、澁澤さんがわたしにやさしくなかったから、嬉しくなってしまって。欲しくなっちゃったの。
 だから、食べちゃった。
 ……。冗談よ。うそ、冗談でもない。えっちしてるのはほんとう。でも高校の時は何もなかったし、ちゃんと段階を踏んだわ。
 大学生になってから、休日にばったり会ったことがあるの。それがきっかけね。それがなかったら、結婚するくらい仲良くなれなかったと思う。

 澁澤さんとのお勉強会がなくなって、わたしはすっかり落ちこぼれた。だからとうぜん、澁澤さんと同じ大学なんて行けなくて、別々に過ごしていたの。
 澁澤さんは、わたしのことを、何かと構いたそうにしていたわ。そういえば、落ちこぼれはじめた時なんてしつこかった。勉強を見なくていいのか、本当にいいのか、って。
 わたし落ちこぼれたいの、って言ったら、ほんとうに理解できないで焦るような顔をしてた。ちょっと面白かったかも。腹いせね。
 違う大学だけど、やっぱり家は近いの。だからわたしの家の近くをうろうろしている彼を見つけたときは、こっちがいたたまれなかった。連絡もしつこくて、通知は切っていたかな。
 休日にはお出かけのお誘いなんかもあった。あそこに行かないか、きみはあそこのあれが好きだろう、あそこに行きたいだろうって。当たっていたけれど、わたしもう澁澤さんと仲良くするつもりはなかったの。だから、ううん、わたしもう趣味は昔とすっかり変わったの、って、言ってやった。
 可哀想に。彼、昔を取り戻したかったのね。
 無理よ。だって、そんなの自分勝手。わたしを置いていったのは、澁澤さんだもの。

 いよいよ澁澤さんはわたしを遠くから観察することしかできなくなった。ほんとうにおもしろくってね、ほら、家が隣だったでしょう? それでわかったのだけど、大学生になって突然、澁澤さんが自室の位置を変えたの。
 わたしの部屋と、窓が向き合っているお部屋。もう、ほんとうにわたしのことが手に入れたくてたまらないのね。
 澁澤さん、いつもカーテンを開けてた。見たくて見たくて仕方ないのね。だから、ね。ふふ。
 わたし、優越感か知らないけど、ほんとうに愉快になって。

 見せてあげてた。おきがえの時なんか、カーテンを開けておいてあげてた。
 もちろん、澁澤さんのことなんか意識に入れてあげないの。あなたのことなんか気づいてません、って態度で、胸もおしりも見せてあげたわ。
 ずうっと視線を感じた。じいっとわたしを観察していたの。
 でも目は合わせてあげなかった。手の届かない箱のなかにいるわたしを、ただ見せびらかしてあげたの。ふふ……。……ア、ばか、あなたにも見せてるでしょ、ンン……もう……。どうして男の人って、こんなに嫉妬深いのかしら。
 ……それで、そうやって澁澤さんがうかうかしているうち、夫とわたしの距離はどんどん縮まっていっていたの。
 偶然の再開をしたその日、ごはんに誘った。どうしても食べたいごはんのお店があって、でもひとりだと絶対食べきれないの。今から暇だったら、奢るから、来てくれない? って。彼、やさしいし、けっこう食いしん坊なの。だからすんなり来てくれた。かわいいでしょ。
 それからたくさんおしゃべりして、最後には今日は助かっちゃった。また誘ってもいい? って。連絡先を交換して、それからはトントン拍子。付き合った初日にキスをして、数ヶ月で初めてのえっちをしたわ。駅チカのラブホテル。彼、ほんとうに緊張してた。緊張してるくせにたくさん気を遣うから、何もかもどうでも良くなるようにたくさん気持ち良くさせちゃった。それからは別人みたいに激しかったわ。

 結婚するって伝えた時の澁澤さん、どんな反応だったと思う?
 
 ……ふふ。実はね、わたしも知らないの。お手紙で結婚式の招待状を送っただけだったから。
 手紙を見た時、どう思ったのかなあ。分からなかった。教えてくれない? きっと貴方と似たようなものだと思うの。でも、そうね、貴方には、澁澤さんと違って体は許しているから、貴方以上なのかもね。
 だめ。澁澤さんにはもう何も許してあげないの。だって。ほっとかれた屈辱ったらなかったもの。……ううん、さみしかったのね。
 結婚式当日、知っての通り澁澤さんは来た。てっきり来ないかと思ったのに、ちゃんと来たの。意外だったし、なんだ、そんなにショックでもなかったかしら、とも思ったけど、でもそう思いながら、来るという確信があった。矛盾してる? そうよね。
 あの人はね、控え室に来たの。式前に、新婦の控え室に。新郎じゃない男が、よ。
 図々しい? そうよね。でもわたし、うれしかった。なんだかんだ言ってわたしたちは幼なじみだし、いちばん時間を共にした人でもあったから、特別な日に会えたのは、素直にうれしかったのね。だから入っていいって、ゆるした。
 式場のひとは、さすがね、察して出ていってくれた。そうしてふたりきりになると、澁澤さんはじっとわたしを見つめた。
 自分じゃない男の妻としてのウエディングドレス姿をね。
 久しぶりって言ったら、ああ、って。それだけ。全然喋らないの。こっちから話しかける気はなかったのに、あまりにも無言が続くから。
 澁澤さんは扉の前でずうっと立ち尽くしていて、仕方がないから、こっちに来てって言った。そうしたら、来るの。素直でかわいいワンちゃんみたいね。不憫でかわいくって、たまらなかったわ。
 澁澤さんがわたしの目の前で止まって、それでわたしは微笑んでみせた。
 それで言ってやったの。どう? 綺麗でしょ、って。そうしたらまた、ああ、ってだけお返事するの。
 どこか呆然としていたわ。夢を見ているような。わたしが自分以外の男と結婚するのが、まだ信じられないみたいだった。可哀想に。現実を受けとめきれてないのね。
 その証拠に、彼、まだ諦めてなかった。
 そのあと何をされたかなんて、もうわかるでしょ?
 ちゅうされたの。
 わたし、新婦よ。今から夫と誓いのキスを控えていたのよ。それなのに彼、わたしにキスしたの。
 澁澤さんの顔がゆっくり近付いてきて、それでキスをした。左手でわたしの腰を抱いて、右手でわたしの胸を探っていたわ。ふふ、そう。彼、わたしに触れたくてしょうがなかったのね。だって、ずっと見ていたんだもの。
 わかったの。ああセックスする気なんだ、って。
 きっと、どうしてもわたしを手に入れたかったのね。頭の冴える彼が、そんな方法しかできないほどに。
 最も動物的な女の入手方法だと思った。相変わらず無口な彼のペニスだけが彼の気持ちを表していたわ。わたしがほしくて、わたしを穢したくて、わたしを孕ませたくて、たまらない、って。
 もちろんゆるさなかった。だめって言った。でもほら、わたし、セックスが好きなの。だからね、ふふ……いいかなとも思ったわ。そんなにわたしがほしいのねって、じゃあ孕ませてみてって、思ったりもしたわ。
 そうして澁澤さんの子を孕んで、澁澤さんの子をおなかのなかで育てて、たまに愛撫してもらいながら妊娠生活を過ごすのも良いと思った。
 その間はなかなか動けなくて、澁澤さんがわたしのお世話もして、わたしは澁澤さんのおうちに閉じ込められる。そのうち赤ちゃんが産まれたら、授乳するわたしを澁澤さんがじっと見守る。赤ちゃんが吸ってないほうのおっぱいを澁澤さんに愛撫してもらって、赤ちゃんが寝たらその横で、声を我慢しながらえっちをするの。
 澁澤さんに口を塞いでもらって、キスでも指でも構わないから。静かにフェラチオするのも良いわ。きっと、自分のペニスにご奉仕するわたしを、上からじっと見るのでしょうね。

 でもそうはならなかった。来客を不審に思った夫が、様子を見に来てくれたの。
 あのひと、びっくりしていた。当然よね、自分の妻が、ウエディング姿で他の男とキスしてるのよ。
 そんなシーンを見られたら、浮気を疑われちゃう。
 でも、ほら。夫と澁澤さんも学生時代からの知り合いだったから、そこのところの事情はよく知っていて、分かってくれたの。それに、ふふ、もちろん妬いたフキゲンにはあとでよくよくご奉仕したから。式が始まる頃にはすっかり晴れやかだった。式前のえっちは、ほんとうにすてきだった。
 夫は静かに怒って、澁澤さんをわたしから剥がした。澁澤さんは一切抵抗してなかった。ただ、やっぱり呆然としていた。ぼんやり、でもね、ちゃんとわたしを見つめていた。なんだか怖かった。
 きっと、それもあって夫は察してくれたのね。
 ほら、やさしいから。わたしには一切怒らず、それどころか心配してくれたわ。怪我はない? 怖かった? って。
 ほんとうにやさしいの。大好きよ。

 …………思うの。もしかしたら澁澤さんのなかでは、わたし、澁澤さんのものなんじゃないかって。
 どうだろうね。今頃、妄想のわたしとセックスしているのかな。

 ふふ。
 ウソ。澁澤さん、ちゃんと現実を見てるわ。
 正しくは、ちゃんと現実のわたしを見てる。

 澁澤さんは、未だにわたしの生活の何処かにいるわ。
 ……やだ、この言い方だとなんだか幽霊みたいね。違うわ、もっと可愛いものよ。
 夫が出張でいない日、朝起きると、着ていたはずの服が全部脱がされているの。お股なんか乾いた精液まみれで、セックスの匂いが強く残っていた。
 かわいいでしょ。彼、わたしに会うためなら、強盗じみたことだってするの。
 夫の不在を狙って、しかもわたしが寝ている間に事を済ませる。とても健気よね。
 だから、そういう日は努めて早く寝ることにしてあげているわ。それとも、起きてあげたほうが喜ぶかしら? 起きていたら来ないのかな。……ううん、きっと来るわね。薬なんかで眠らせることもしないで、ゆるしてもらえた、って思うのでしょうね。
 大丈夫、出張が近くなったら避妊薬を飲んでる。……イヤよ。貴方とはゴム付きでけっこう。

 澁澤さんがわたしのことを好きかなんて、知らないわ。だって澁澤さんの口から愛の言葉を聞いたことなんて、ないもの。キスだけ。わたしたちが見つめあったのは、キスだけよ。
 ところで、ねえ。
 最近、来るはずの生理が来てないの。だから貴方と会うのは今日でさいごね?