道端に帰路を置く
胸糞悪さを楽しむ夢小説です
元気なときに読んでください
登場人物
みょうじなまえ
大学1年生の女の子。龍華と交際していた。体の関係もあったが高校に上がって10ヶ月ほどで振られる。
澁澤 龍華 しぶさわ るか
大学1年生の女の子。なまえと交際していた。フョードルに言い寄られて心変わりした。フョードルにぞっこん。
とても頭が良く、超有名難関大学に通うことになった。
フョードル・ドストエフスキー
大学1年生の男の子。
とても頭が良く、龍華と同じ大学に受かると約束を交わしていたが、落ちてなまえと同じ大学に通うことになった。
「入学式、一緒に行きませんか」
人は傷跡を増して大人になると思う。傷のぶんだけ、中身を増やすのだ。傷口から溢れ出たものを埋めて、新しいものを取り込んで大きくなっていく。
でも傷を治すのは大変で、いちどに受けた傷が大きければ大きいほど早急に中身を補填しなければならない。その過程で、修復を急ぐばかりに変なものを取り込んで、結果へんな思想に走ったりしてしまうんだろう。
わたしは大きな傷を受ける前から、小さな傷で学んで予想してそういう考えをもっていたから、思想の修正はまあまあできた。性に奔放になることもなければ、泣き崩れて命を絶つこともなく、ただじっと、時が過ぎるのを待った。
愛していた人がいた。その事実が、今のわたしをこんなにも可愛くする。とても愛おしいいきものだと、思う。
龍華は女子中学校時代からの親友で、からだをゆるしあった恋人でもあった。けれど、女の子しかいない世界で女の子を好きになることは、ガラスの魔法のようなもので、でも宇宙みたいな必然でもあって、そうでなくなれば簡単にうつり変わってしまう当たり前の儚いことだった。
龍華はとても利発な子で、もちろんわたしは龍華と同じ高校に入りたかったから、受験に向けて死にものぐるいで勉強に励んだ。
龍華はあまり頭の良くないわたしを根気よく面倒みてくれて、難問が解けたり、彼女の課題をこなしたりすればご褒美にキスをもらっていた。
現金な話だが、だからこそ頑張れたのだと思う。
努力が実を結んで、難関高校に入って5ヶ月ほど経った頃だろうか、龍華とよく楽しげにおしゃべりをする男子生徒ができた。
はじめは気にしなかったけれど、ふたりで過ごしていた休み時間はだんだんと彼に侵食されていった。
朝のHRまでの時間、授業と授業の合間の10分間、さらにはお昼休み、遂には放課後。
まるで結末の決まった愛のおとぎ話みたい。そう思って、何かを予想しているうちに、みるみるわたしたちの関係は変化していった。
ごめんね。フョードル君と過ごしたいの。
急いで彼の元へ駆けていく背中、こちらを振り向きもせずそう言われた時に、わたしは彼女とわたしの運命を強烈に悟った。
彼女の運命にとってほんものである恋によって、随分ほんものに変わってしまった彼女の口調や愛らしい表情が、彼女が女で、そしてわたしも女であることをわたしに、痛いほど強烈に思い知らせたのだった。
彼女に振られてからは勉強も遊び程度に、ただ今までとは一転、彼女をなるべく視界に入れないよう、傷が悪化しないよう静かに過ごした。新しい恋人を作る余裕もなく、ただ感情を動かさないことに努めて、何か起こりそうであればすんなりと逃げることをいつでも選択肢のはじめに据えて過ごした。気まぐれな彼女から、休日のお誘いをいただくこともあったが、ていねいに断りを入れて自由気ままに過ごした。
いつしかわたしと彼女は全く喋らなくなって、
「取りましょうか」
そんな時だったか、彼と初めて言葉を交えたのは。
ある日の放課後、たしか駅前の本屋。
後ろから、以前のわたしであれば知りたくなかったであろう声がして、色々と落ち着いた頃のわたしの感情はほんの少しだけ冷たい熱を帯びた。
躊躇なく振り返ると、やはり彼がいて、第1志望の大学の過去問を取るべく上に手を伸ばすわたしを、数メートル離れたところからまっすぐ見つめてくる紫いろの瞳と目が合ったのだ。
「ああ、ううん、大丈夫。ありがとう」
単純に答えて、棚の間の通路に配置されている踏み台を取りにその場を立ち去った。
今思えば、気にしない素振りをして、その実彼女を奪った彼を恨んでのことだったのだろう。彼は悪くないが、彼の善意を素直に受け取れるほど大人でもなかった。
そうして踏み台を転がしながら戻った例の棚の前。
そこには彼が立っていた。
「どうぞ」
差し出されたそれを、わたしは受け取るしかないのだろう。
彼からの、施しを。
わたしはどうしようもなく、何とも言えぬ、己の醜悪さのすべてが煮込まれたかのような、だからこそもっとも安心するような感情を言葉なく思考した。
手を伸ばす。
「どうも」
この時ばかりは、ありがとうなんて言いたくもなく言えず、3文字だけ吐いてその場を後にした。最も効率の良い方法で会計を済ませて、走れないほどの感情を抱えて早足で帰宅したのだった。
ひどい話だが、そういう対応しか、できなかった。精一杯だったのだ。
そうだ。彼女が彼に甘い声で擦り寄るたび、わたしは明確に傷ついた。一緒に時を過ごす相手に、わたしではなく彼が選ばれるようになって、わたしというものの存在は彼女の人生から外れた。
どれもこれも、そう、彼の影響だった。
それなのに。
「駅で待ち合わせで、どうでしょう」
電話越しに聴こえるその声が、どういう思考で何を言っているのか、わたしにはわからなかった。
なぜ、かれが。わたしに電話を。電話ができる。……そもそも、……ああ。
1年生のときは、クラスが一緒だったから。
クラスのグループチャットからわたしのアカウントを登録したであろう彼は、あろうことかメッセージですらなく電話を掛けてきた。
答えは決まっている。
「ううん、その日はいつ着けるか、わからなくて」
「大丈夫ですよ。ぼく、急いでいませんから」
「でも悪いから、別々に行こう」
「平気です、折角ですから。当日、お待ちしてますね」
勝手に電話をかけて、一方的に約束をとりつけて終わる。
それも、わたしはちょうどいま、貴方についての相談を彼女から受けていたのに。
呆然とするわたしをよそに、メッセージアプリの通知はぴこん、ぴこん、と可愛く鳴り続ける。
……あんなに利発で気高かった彼女が、ここまで堕落するとは。相当彼に心を奪われていると見える。
短文が小刻みに送られてくるその様子には、彼女の必死さと、病的までに熟れて膨れ上がった彼への愛慕が感じられる。
わたしにそれを送る彼女の愚かさが、今では可愛い。
そう思えて、何かが生まれそうな心境はふっと息絶えた。
大学生の自分か。随分大人になったものだ。
彼女のことを考えて、彼の電話への驚きはどうでも良くした。
わかっている。彼は知らないのだ。わたしと彼女がどんな関係だったかを。わたしが彼女をどう思っていたのかを。
つまり彼は、わたしから彼女を奪ったなんて認識をしていない。彼に落ち度はないのだ。
これを、わたしは今となっては申し訳なく思う。彼は悪くない、ただ単純に、純粋に人間の営みとして恋を実らせただけなのに、わたしは彼に嫉妬してしまっていた。嫉妬、そう嫉妬だろう。
自分の心情を漢字2文字にするのは、いつだって違和感を伴うものだが、複雑にする必要はない、そうなのだ。
わたしの人生が彼に影響を受けたのは間違いないが、それはけっして彼のせいではない。
元クラスメイトで、彼女を通じて面識があって、初日は慣れなくて不安だから行動を共にする。
彼には、たったそれだけの話。彼女には申し訳ないが、当日はあまり待たせないよう、早めに行こう。
「さいきん、貴方がなかなか連絡を返してくれないって」
慣れないスーツに身を包んで。
慣れない相手に慣れない交渉をする。……何から何まで不格好だ。初日からあまりいい気分ではない。
彼女に頼まれて、何故返信を返さないのか、彼の動向を上手く探ろうと思案したが、わたしはあまりそういった駆け引きは得意ではない。
それに、彼女のことを可愛く思うが、図々しいとも感じているから。
ストレートに連絡を促してしまった。可愛さと憎さが混在している状況であることを免罪符とさせてほしい。
「龍華が不安がってたよ」
駅から大学までの道は新入生らしい子たちでいっぱいだ。みんな、それぞれの思いを胸にここに居るんだろう。
周りに意識を向けてみると、ふと視線を感じて、ちらと見回した。
それで、ああそうかと納得する。
背が高く、すらりとしているからスーツがよく似合う。
そんな彼はすこし不気味なほど人間味のない儚さを纏っており、わたしにとっては落ち着かない。しかし学生にしては大人びた、それでいてどこかミステリアスな瞳は、流石というべきか、注目の的となっている。
「あの子、貴方と一緒の大学に行けなくて落ち込んでるから。何かメッセージ送ってあげて。そっちも入学式頑張ってね、とか」
適度に目を合わせて喋って、適度に逸らす。
だって、なんだか気まずいのだ。龍華をさしおいて彼と言葉を交わすことの出来ている、この状況が。
「あ……でも、他人が口を出すことでもないから。気に障ったら、ごめん」
彼には申し訳ないが、そういう対応しかできない。でも沈黙が心地よい相手でもないので、つい言葉を足してしまう。
そんなわたしを知ってか知らずか、彼は薄く笑う。
笑って、わたしの腕をとった。
「え」
咄嗟に足が止まった。
彼はそのまま、わたしの腕を軽く引いて、そっと耳打ちをする。
一体、何を――。
「ぼく、彼女とは付き合ってませんよ」
「彼女とはもう別れましたよ」